11月29日 口調

20年ほど前、ニューヨークで、画家・マチスの大規模な展覧会が開かれた。
 
ちょうど出張中だったので、仕事の合間に何としてもマチス展を見よう、と番組スタッフ共々、意気込んだ。
大人気で前売り券は売り切れ。
あとは朝から切符売り場に並んで、当日の時間指定チケットが入手できるかどうか、だという。
 
オフの日、早朝から美術館の窓口へ。
すでに長蛇の列。
「買えるかな?」その心理を見透かすように「Tickets!Tickets!」と、あたりをはばかるような、
それでいてドスのきいた低い声の男が通り過ぎる。
 
ダフ屋だ。
 
「ティーケッツ...」という音程と響きが、日本で聞く、「券、あるよー」にそっくり。
結局、その日午後のチケットが窓口で入手できたのだが、
ダフ屋の口調に洋の東西を超えた共通点があったのは、ちょっとした"発見"だった。
 
先日、ある金融機関の男性職員から電話がかかってきた。
必要な手続きの説明なのだが、
口調が、歓楽街でお客さんを呼び込むようなのである。
敬語や文法に間違いはないが、
「そおーゥしますとですねえー、お客さまァの場合はーァ、~~」と語尾が伸びて、雰囲気が妙に軟らかい。
夜の新橋界隈ならば、おじさんたちを楽しい気持ちにさせるのだろうが、
事務的な話には、そぐわない。
受話器を置いた後、戸惑いと疲れが残った。
 
人は皆、その場や仕事にふさわしい話し方を選択しつつ生きている。
アナウンサーらしい口調とは、どのようなものだろうか?
日本テレビのアナウンサー、と一口に言っても、五十人五十色の語り口だが、
求められているのは、聞きやすく、内容が正確に伝わることであろう。
 
話し言葉の"楷書"。
 
番組によっては、楽しい"崩し字"も必要だが、行書も草書も、楷書が書けてこそ、なのだから。
...と、私が字になぞらえて力説しても、
乱筆の伝言メモでさんざんアナウンス部の後輩を困らせてきたからなァ、全く説得力がない。