4月25日 どちらでも

元号の変わり目である。
新しい元号「令和」の発表直後、アナウンス部に、
「アクセントは、『れ\いわ』ですか?『れ/いわ』ですか?」
と、番組制作現場から問い合わせがあった。


結論から言うと、どちらでもかまわない。
「あめ」は、共通語アクセントでは、「あ\め」ならば「雨」、
「あ/め」ならば「飴」と、意味が違ってしまうが、
「れいわ」は、どちらのアクセントでも「令和」を意味する。
固有名詞は名付け親の判断を尊重するが、内閣官房も「どちらでも結構です」と答えている。
「昭和」を「しょ/うわ」という人と、「しょ\うわ」という人がいるように、
「令和」も、2つのアクセントが並行しながら、やがて、どちらかが主流になっていくであろう。
今は、頭高(あたまだか)アクセントの「れ\いわ」という人が多いが、
言葉は身近になると平板(へいばん)アクセントになっていく傾向がある。
10年後には「れ/いわ」が多数派になっているかもしれない。


今回、いささか驚いたのは、
「どちらですか?日テレとして、どちらに決めますか?」
という問い合わせが何回かあったこと。
どちらでもいいのに、なぜそんなに決めたがるのか?決めてほしがるのか?


言葉の話ではないけれど、私の若い頃は、教師や親が「こちらだ」と決めても、
「どうしてですか?なぜもう一方ではいけないんですか?」と素直に従わない場面がよくあった。
子供っぽい反抗ではあるが、自分で決めたい、他人に決められたくない、という気概があった。
今の若いスタッフは、素直なのか、自分で決める面倒を避けたいのか、
言われたとおりにするのが好きなのか...。


世の中には、どちらでもOK、ということは、たくさんある。
ちょっとしたことであっても、自分の感性で、好きな方を選び取る自由を持っている方が、
面白いのではないかしら。