10月3日 アナウンサーになって、初めてのインタビューの相手は、倉本聰さんだった。

アナウンサーになって、初めてのインタビューの相手は、倉本聰さんだった。

 

1980年、24時間テレビのスペシャルドラマの脚本を手がけた倉本さんに、ラジオでの広報のため、お話を聞いておいで、という業務命令。身に余る光栄だけれど、デビューして、たった1か月の新人には、それこそ手に余る大役で、どうしたらいいか、わからない。

 

ともかくも、資料や、ドラマのシナリオを読んで、インタビューの現場へ。

ラジオなので、技術スタッフは録音マンのみ。番組ディレクターの代わりに、日テレの広報のベテラン女性が目を配る。

「何を質問したらいいでしょう?」

と、すがるような思いで、私が尋ねたら、

「あなた、プロのアナウンサーでしょ。自分で考えなさい!」

昔の人は、厳しく鍛えてくれた…。

 

ラジオの広報枠は3分間。できるだけ編集せずにすむよう、時間の管理もインタビュアーの仕事である。ストップウオッチを傍に置いて、自分なりの質問メモを手に、待つこと数分。

倉本聰さんが到着し、ゆったりと椅子に腰を下ろした。

 

いざ収録本番。ここで、私は、ストップウオッチを押し忘れてしまったのである…!

今ならわかる「3分間」の感覚も、当時は皆目わからず、どうしよう、どうしよう、と焦り、質問もしどろもどろに。とにかく、大事なことを聞き逃してはいけない!と、項目をやたらに詰め込んで、結局、10分を超えるインタビューになってしまった…。

 

あきれ顔の日テレスタッフの隣で、

「ありがとうございました」

と、しょんぼりと頭を下げた私に、倉本さんが、

「大丈夫?僕が編集してあげようか?」

倉本聰さんは、ラジオのニッポン放送のディレクター出身である。

大きな目玉が、時に鋭く光る人だったが、あの時の、迷子に手を差し伸べるような温顔は、46年経った今も、忘れることはない。