9月20日 右松 健太

幼いころ、父が運転する車の中では、よくジャズがかかっていた。
擦り切れるほど聴いたのだろう。
ノイズや、途中、音が途切れるところもあったが、
「白夜のデキシーランドジャズ」というタイトルのついた白いカセットテープには、
曲名はわからないが、軽快なドラムや甲高く華やかなトランペット、
重厚に響くサクソフォン、
そして時折、英語でのMCや笑い声、歓声がそのまま収められていた。
 
父は青年時代に楽団でサックスを吹いていたそうだが、
上京したての苦学生の頃、故郷から訪ねてきた親友を、
焼酎と刺身でもてなそうとしたが金がなく、
サックスを質入れして急場をしのいだ。
その後、そのまま質流れしてしまった。
そんな話を、車の中でノイズ混じりのジャズをBGMに聞いたことがあった。
数年前、父の還暦にテナーサックスを贈った。
 
自宅のCDラックには流行りのJPOPの隙間に、ジャズがもぐりこんでいた。
学生時代はジャズ喫茶に数杯のコーヒーで何時間も居たこともあった。
決して詳しいわけではないが、
今でも疲れた夜にジャズを聞くと心が解れるような感覚になる。
楽器店を通るたびに、黄金色に輝くサックスに目が留まる。
 
私もアラフォーとなり、ひょっとすると、
人生の折り返し地点を気づかぬうちに過ぎてしまったかもしれない。
「残りの人生楽しく」なんていう年齢では全くないが、
死ぬまで付き合えそうな趣味のひとつを、と、ここ最近思っていた。
ある休日、足が向いたのは、サックス教室だった。
 
 
 
初めて触れるサックス。程よく手にかかる重み。
鏡で持ち姿を見てみると、
チャーリー・パーカー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン...。
稀代のサックスプレーヤーの肖像が浮かび恍惚さが増してくる。
もはやここは、ニューオリンズのジャズバーだ。
 
そのような妄想を十分膨らまし、
勢いよく息を吹きこんでみた。
 
しかし気の抜けたような音しかしない。
リコーダーと同じ指使いというが、
はるか昔の音楽室の記憶をたどることもできない。
 
音を立てて妄想の砦が崩れてゆく。
 
数十分の講習でたどり着けたのは、出航前の汽笛に似た雑音だった。
しかし、新しい世界に向けて船出をしたような胸の高鳴りがあった。
 
新しい趣味が船出した。
方角も速度も自由だ。
気長に風を帆に受けながら、のんびりと進んでいきたいものである。
そして、いつかは父とセッションを。