9月18日 中野謙吾

今、世の中は「推し活ブーム」だ。

私にとっての「推し活」は、次女の卓球部での活動を応援することに他ならない。推しとは、アイドルや俳優だけを指すのではない。私にとっては、毎日ラケットを振り続ける娘の姿そのものが「推し」だ。時には日本全国、遠征先まで車を走らせ、ナビに映る長い道のりを超えて試合会場へと向かう。体育館の観客席から小さな背中を見つめると、色々言いたい気持ちを抑え込み、ただ心の中で「頑張れ」とつぶやく。勝っても負けても、その瞬間に見せる表情は一生に一度だ。

平日もまた、推し活の連続だ。朝五時半に家を出る娘のため、まだ眠りから覚めきらない台所に立つ。卵を割る音、フライパンの小さなじゅうという音が、静まり返った家に響く。冷めないうちにご飯を詰める。明らかに茶色ベースのお弁当の完成だ。眠そうな顔でキッチンに現れる娘に、「頑張れよ」と声をかける瞬間、疲れはすっと消える。お弁当を手にした娘の小さな笑顔が、父親の一日のエネルギーになる。

 

肉体的には確かに大変だ。週末ごとに遠征、早朝の弁当作り、帰宅後は試合映像を一緒に見返す事も。それでも、青春の一瞬を共に走れるのは今しかない。時間はあっという間に過ぎ去り、娘は大人になっていく。その過程を一番近くで見届けられるのは、父親としての特権だと思っている。

 

推し活とは、ただ「好き」を表現するだけでなく、変化していく大切な人の時間に寄り添うこと。勝敗や結果以上に、必死に挑む姿を見逃さないように心を傾けること。私にとっての推し活は、娘と共に過ごすこの日々そのものだ。父親として、時間と労力を惜しまず、全力で「推し」を応援する。それが、かけがえのない私の推し活である。後一年半は楽しめそうだ。