10月15日 山本紘之

アナウンサーの職業病って結構色々あります。
ご飯を食べては「食リポするなら何言おう?」って考えたり、沈黙があると「話繋がなきゃ」って思ったり、あとこれは究極のお節介ですが、耳に入る他人の会話のアクセントが違うと「直してあげたい」って思ったり...。
あげればキリがないのですが、その中の一つに「これはつまり...?」と考えてしまう癖が私にはあります。人の話を聞いた時、何かを見た時知った時など...ほぼすべてのことを「つまり~」と脳内で要約するようになりました。
全てはアナウンサーとしてのスキル向上のためです。
そしてそのうち、なに事にも「わかりやすさ」を求めるようになっていました。
(え?アナウンサーになってから?遅くない?というご指摘は一旦胸ポケットにそっとしまわせて頂きます)


そんな体になって久しい去年の冬、詩の朗読会に行く機会があり、いってきました。
詩人の方々が読む、それぞれの詩。
...?
ん?
...?
おや?
...?
つまり?
.........?


例によって答えを導きだそうとしたのですが、全く出てきません。
言葉の意味も、繋がりも、そこにあるメッセージも...。
あきらめるほかありませんでした。
それからは思考を停止し、ただただそこにいることに。


すると今度は
言葉一つ一つが輪郭を持ち
美しく響き
脳内でイメージの世界が広がって
なぜだろう物凄く心地良い感覚になるではないか。


理解は出来なくとも、そこには何とも言えない豊かな時間が流れていました。
あるいは最初から、そこに意味や繋がり、メッセージなんてものはなかったのかもしれません。
もはやそれすらもどうでもよくて、何から何まで「わかりやすさ」や「答え」を求めていた私にとって、この詩の朗読会はとにかく大きな衝撃でした。


最近は詩集を買って読んだりもしていますが、いまだにわからないことだらけです。
ただ、言葉の響きや語感、テンポ、イメージすると存在する世界は、今でも変わらず心地よい感覚に与えてくれます。


世の中わかりやすいもの、答えがあるものばかりではない。
考えたって見えてこないものはたくさんある。
わからなくても、感じ取れるものもある。
言葉に出来なくたって、伝わるものもある。
言葉にしないことで、伝わることもある。


そう思えると、少し気が楽になりませんか?


今後もし私がテレビで、上手いこと言葉で表現が出来ていなかったら
その時はみなさん、ぜひ、感じ取ってくださいね。


(写真は詩の朗読会後、会場前にて)