11月13日 助走は長く、気は短く

もともと私はスロースターターだったが、年齢とともに、朝起きてから「さあ、やるぞ!」となるまでの時間が、さらに長くかかるようになった。

食がだんだん細くなるように、仕事の量がこなせなくなってくる。

(それでいて、実際の「食」は、若いころと変わらぬ太さを保っているのが、われながら浅ましい。)

 

かつては一日に三つ出来ていた仕事が、今では一つしかできない。

やり方が丁寧になり、出来が良くなったのか? いや、そんなこともない。

要するに体力がなくなってきたのである。

 

同年齢の友人たちも同様で、

1時間、パソコンに集中すると、そのあと3時間ぐらい横にならないと、体がもたない」

などと言っている、定年過ぎの研究者もいる。

自分はのろのろしているくせに、気は短くなって、パソコン相手に

「何やってるんだ!グズ!」と急き立てたり、叫んだりしているらしい。

私にも思い当たるふしがある。いずれ我らの世代は、パソコンから、パワハラで訴えられるかもしれない。

 

もっとも、人生100年時代とやら。

「お前さんたちは、まだ、青い柿の実だよ」と先輩方からは言われる。

新芽や若葉、花の季節は過ぎても、実としては、まだ熟していない。柿の実ひとつとっても、甘いのや、渋いのや、渋さが人の手によって甘くなるものや、さまざまな熟し方がある。人間もこれからの年月の過ごし方次第、いくつになっても未来こそが大切なのだ、と気を取り直す。

 

目指すは、「軽やかに冬じたく」。

しかし、これは本当にむずかしい。