12月17日 森圭介

ボールを遠くへ投げようとするとき、

それが描く放物線は最高地点を通過すれば

あとはゆっくりと高度を下げ、落下地点へ向かうだけだ。

 

もし人生をひとつのボールと見立てるなら、

私はもう放物線の後半戦にいる。

これからどこへ落ちていくのか、

その軌跡がおおよそ読める年齢に差しかかっている。

いま自分がどれくらいの距離を飛べるのか、

誰よりも私自身がよく知っている。

 

今年で四十七。

あと三年で半世紀だ。

 

階段を三階分上がれば息が切れ、しばらく動けない。

手元の小さな文字は霞み、

お酒を少し飲みすぎれば翌日の夕方まで胃が重たい。

髪には白いものが混じり、

画面越しの若い人たちの名前を覚えるのに苦労する。

 

だが、だからこそ、ここからなのだと思う。

 

アンチエイジングをしようとは思っていない。

若返ることに興味はない。

ただ、新しいことに挑戦したい。そう強く思うようになった。

 

この年齢になって資格を二つほど取った。

不思議なもので、学べば学ぶほど、

世界は広がるどころか、自分の無知を思い知らされる。

残り時間が少なくなってこそ、そのありがたみがよくわかる。

 

さぁ、次ははじめようか。

落下するその瞬間まで、ボールはまだ飛んでいるのだから。

 

そんなことを考える、冬の夕暮れである。