ボールを遠くへ投げようとするとき、
それが描く放物線は最高地点を通過すれば
あとはゆっくりと高度を下げ、落下地点へ向かうだけだ。
もし人生をひとつのボールと見立てるなら、
私はもう放物線の後半戦にいる。
これからどこへ落ちていくのか、
その軌跡がおおよそ読める年齢に差しかかっている。
いま自分がどれくらいの距離を飛べるのか、
誰よりも私自身がよく知っている。
今年で四十七。
あと三年で半世紀だ。
階段を三階分上がれば息が切れ、しばらく動けない。
手元の小さな文字は霞み、
お酒を少し飲みすぎれば翌日の夕方まで胃が重たい。
髪には白いものが混じり、
画面越しの若い人たちの名前を覚えるのに苦労する。
だが、だからこそ、ここからなのだと思う。
アンチエイジングをしようとは思っていない。
若返ることに興味はない。
ただ、新しいことに挑戦したい。そう強く思うようになった。
この年齢になって資格を二つほど取った。
不思議なもので、学べば学ぶほど、
世界は広がるどころか、自分の無知を思い知らされる。
残り時間が少なくなってこそ、そのありがたみがよくわかる。
さぁ、次ははじめようか。
落下するその瞬間まで、ボールはまだ飛んでいるのだから。
そんなことを考える、冬の夕暮れである。
