スペシャル

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Fenollosa-Weld Collection

スペシャル

ボストン美術館展を楽しむ7つの秘密
アートナビゲーター ナカムラクニオ

2019.12.12
第1話
ボストンの三銃士 モース、フェノロサ、ビゲロー
1-1
ボストンは「僧侶の町」

ボストンには、古都の風情がある。京都や鎌倉のように歩いているだけで、懐かしい空気と積み重なった時間を感じることができる。実際に、アメリカの歴史がぎっしり詰まった町で、清教徒たちの入植地、貿易の中心でもあった。
アメリカの町の名前には、ルーツであるヨーロッパの国々の町からとったものが多い。Boston(ボストン)の名も元は、イギリスの地名。7世紀頃に僧侶(キリスト教の聖職者)であるBotolph(ボトルフ)が僧院を建てたことから「Botolph's town(ボトルフの町)」と名付けられ、それが短縮されて「Boston」になったそうだ。つまり、イギリスから渡った清教徒たちがつくったアメリカのボストンは「僧侶の町」という意味を持っているのだ。
アメリカで最も古い歴史を持つボストンは、かつて世界的な貿易港だった。アジアとの関係が深かったこともあり、ボストン美術館では早くから中国、日本、インドなどアジア地域の美術の収集に力を入れていた。そのせいもあってボストン美術館と言えば「東洋美術の殿堂」と呼ばれている。しかし、質の高いアジアの作品をアメリカの美術館が10万点も集めるのは、奇跡に近いような偉業だ。これほどのコレクションを持つ背景には、日本を愛する3人の存在が大きい。

陶片を拾って古美術にハマったモース

まずは、動物学者エドワード・シルヴェスター・モース(1838-1925)だ。彼は、ボストン郊外に住む動物学者だったが、日本近海に住む腕足類(わんそくるい)というシャミセンガイ、チョウチンガイなど原始的な海生生物の採集のために来日した。船で横浜に着いた彼は、横浜から東京へ向かう列車の窓から偶然、線路の脇の切り通しに白い貝殻が積み重なっているのを見た。そして、それが重要な貝塚であることに気付き「大森貝塚」を発見した。「縄文土器」という名はこの時、モースによって名付けられたものだ。
彼は、すっかり有名人になってしまい、3か月の滞在予定が、なぜか東京大学の教師となり、3回の来日で合計4年近くも日本に滞在することになったのだ。

しかし、モースは過労からくる消化不良に悩まされていた。治療のために散歩していたある日のこと。彼が大好きな貝類、しかもホタテ貝のかたちをした焼き物の欠片を発見した。それがきっかけで動物学者的な目線で、陶磁器の分類をはじめたのだった。もし、モースが健康な身体で、治療の散歩をしていなかったら古美術の収集をしていなかったに違いない。拾った欠片が、ホタテ貝のかたちをしていなかったら彼は、興味を持たなかったかもしれない。なんとも不思議な偶然によって、モースは、日本美術にのめり込んでいく。
彼は、陶磁器の勉強を本格的に始め、日本人をしのぐ目利きになった。集めた陶磁器は、動物学者らしく、産地、作風別に系統的に細かく分類した。陶磁器をまるで「研究対象である動物標本」のように丁寧に扱い、彼自身がすべての作品についての解説を書いたカタログまで作った。アメリカに帰国後も、日本のすばらしさを友人たちに熱心に語り続け、持ち帰った日本の陶磁器約5000点はボストン美術館へ収蔵された。モースは、大森貝塚を発見しただけでなく、「日本美術という未知なる美」を動物学者の眼で発掘してしまったのだ。
しかし、彼は愛情を込めてこんな言葉を遺している。
「われわれが買っているような日本の美術品は、どんどん市場に出回っている。まるで隠れた傷口から日本の生き血が流れ出るようなものだ」と。

 

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ナカムラクニオ/Kunio Nakamura

荻窪「6次元」店主/ライター。
著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『魔法の文章講座』『世界の本屋さんめぐり』など多数。


 

参考文献:

「芸術新潮 1992年1月号特集 ボストン美術館の日本」(新潮社)
『ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展』(日本テレビ放送網)
『名品流転―ボストン美術館の「日本」』(NHK出版)

 

 

芸術×力 ボストン美術館展
会場:東京都美術館
会期: 2020年4月16日(木)〜7月5日(日)