《野外での婚礼の踊り》ピーテル・ブリューゲル2世 1610年頃 Private Collection

Special スペシャル

魅惑のベルギー、ブリューゲル紀行

5、ルーベンスとヤン・ブリューゲル1世

17世紀のフランドル絵画は、アントウェルペンのぺーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)を中心に花開いたといっても過言ではありません。
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アントウェルペンのノートルダム大聖堂内部。
奥に見えるルーベンスの《キリスト降架》は同じ聖堂内にある《キリスト昇架》とともに、『フランダースの犬』の主人公ネロ少年が、「一目見たい」と憧れていた作品
©神戸シュン/NTV
1608年、母危篤の知らせを機に長期に滞在していたイタリアからアントウェルペンに戻ってきたルーベンスは、フランドルの統治者であった大公アルブレヒト7世と大公妃でスペイン王女のイザベルの宮廷画家となり、街の中心部に自らデザインした大邸宅兼工房を構えます。弟子たちを効率よく使った絵画の量産システムを作り上げたルーベンスは、数千ともいわれる作品を、ここから各地の教会や宮殿へと送り出していったのです。
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左:ルーベンスハウス外観。アーチをくぐると、ルーベンスこだわりの大豪邸と庭園が広がる
右:ルーベンスが工房の弟子たちと数々の傑作を生み出したアトリエの様子
©神戸シュン/NTV
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ペーテル・パウル・ルーベンスと工房、フランス・スナイデルス
《豊穣の角をもつ3人のニンフ》 制作年不詳 Private Collaction
ルーベンスの作品に基づくコピー作品。
人物はルーベンス工房が、果物やオウム、猿などはスナイデルスが担当した
そんなルーベンスと並んで、アントウェルペンの巨匠と目されていたのが、彼より9才年上のヤン・ブリューゲル1世でした。彼もルーベンス同様、イタリアに長期滞在していた経験があり、1610年には大公の宮廷画家となっています。そのため2人はさぞ激しいライバル関係にあったのでは? と想像してしまいがちですが、実はもともとルーベンスは、ピーテル1世の崇拝者で、その次男であるヤン1世のことも高く評価していました。ルーベンスとヤン1世は、互いにリスペクトし合いながら、親しく交流していたのです。
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ルーベンスの邸宅の近くにあるヤン1世の家。
彼はこの家を購入した6年後に、コレラにかかって亡くなった
©神戸シュン/NTV
2人は、人物をルーベンスが描き、その背景となる動物のいる風景や花などの静物をヤン1世が描くということをしばしば行いましたし、彼の息子のヤン2世もルーベンスと共作しています。また、近年、ルーベンスの共同制作者として知られるようになった動物・植物画家のフランス・スナイデルス(1579-1657)も、もとはピーテル2世のお弟子さんでした。
信頼と安心の協力関係にあった、ルーベンス工房とブリューゲル一門。その関係を踏まえて実際にアントウェルペンの街を歩いてみると、ルーベンスとヤン1世の屋敷が徒歩数分の距離にあることに驚きます。2人は仕事仲間であると同時に、きっとリアルな「ご近所づきあい」をしていたことでしょう。
■木谷節子 プロフィール
アートライター。現在「婦人公論」「SODA」などの雑誌やアートムックなどで美術情報を執筆。近年は、絵画講座の講師としても活動中。