東京湾の歴史

歴史1

明治末期頃になると、隅田川の航路確保のため隅田川付近に埋立地が作られるなど、整備業はさらに進んでいった。そして、昭和に入ると人口増加や産業経済などの発展に伴い埋立てがさらに進み、特に、1970年代の高度経済成長期には、一気に増加していき、埋立地には企業や工場などが目立つようになった。
それに伴い海苔養殖・貝獲りで生活していた漁業者は漁場を失くし、漁業協同組合の数も年々減っていき平成15年には15団体を残すのみになった。埋め立てなどの整備が進むにつれ、東京湾の自然は減っていった。

現在の東京湾

今の東京湾の干潟は、明治時期から比べると埋立てによって9割が失われてしまった。東京湾に現存する自然干潟は、盤洲干潟、富津干潟、三番瀬、三枚洲、多摩川河口等があり、人工干潟は稲毛海浜公園、葛西海浜公園等がある。

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