DASH島開拓史

大干潮!未開の地を探索NEW2025/6/8

この日、DASH島は年に数回しか訪れない、普段海の底に沈む場所があらわとなる、大干潮。
そこで、新種の生き物や未知のお宝を求めて探索へ。
潮が引いた干潟の港跡では、ワラスボの一種とアミメハギ、カノコアサリの3種類が、DASH島では初の発見となった。
滅多に足を踏み入れない小島の岩場では、波に侵食されてできた数々の洞窟を手当たり次第探索。
目ぼしいものは見つからなかったが、浅くなった海に潜ったシンタローが、海底で洞窟らしき割れ目を発見した。
一日の成果をひとまず地図に記録し、探索は次回へと続く。
最後は、少し煮詰め過ぎてしまったが、カノコアサリで出汁をとった味噌汁で、探索の疲れを癒したのだった。

造船計画・最大のピンチ2025/5/25

造船計画72日目。舟のパーツが、いよいよDASH島へ!
舟造りの拠点となる作業場を製作し、運び込んだ舟の側面パーツ・舷側板(げんそくばん)は、長さ9m厚さ約6cm。
これを、100年受け継がれた技と知恵で曲げていく作業。
まず船首側を固定し、板をハ(8ではなく“は")の字に立て、その状態から、端がくっつくまで徐々にたわませ、舟の形にしていく。
板にお湯をかけ、木が膨張、柔らかくしながら、ストッパーに引っ掛けて、一段ずつ押し曲げていった。
目指すサバニは、横だけでなく、縦にも湾曲させた流線形。
そこで、手製の縦曲げ装置で、船底に向けても角度をつけた。
休憩時間には、料理長候補のリチャードの提案で、日光の豪快料理“石焼き"を企画したが、肝心な石の選定を見誤り、炎の熱で粉々に破裂してしまった。
だがその間に、作業場ではもっと重大な事態が起きていた。
側面の板は1点もの、木の軋む音を聞き分けながら、慎重に曲げていたのだが、約2mもの亀裂が入ってしまった。
この緊急事態に、師匠・長嶺さんと船長・太一は、フンドウと竹釘を駆使した「本ハギ」という、木と木を接合する伝統技法で、亀裂の補修作業に挑んだのだった。

造船計画・舟の側面を彫る2025/4/27

舟の側面の板の加工に取り掛かっていた男たちは、左右2枚をピッタリ同じ形にするため、カンナがけ作業を続けていた。
そんな中、船長・太一は沖縄の高級魚・ミミジャーを獲るべく、作業場近くの古宇利島沖合に出た。
この日、絶好調の太一は、狙ったミミジャーやマクブなど、1時間で7尾を釣る大爆釣となった。
釣った魚は、DASH島海賊団の料理人を目指すリチャードが修行も兼ね、地元料理人の満名(まんな)さんに教えを乞いながら、「マクブの酢味噌和え」と「イユ汁」を作り、そしてリチャードが調達したサトウキビの搾り汁で作ったサトウキビジュース シークヮーサー入りで英気を養った。
一方、板の内側を彫る作業は、座る場所を残しながら彫り出すなど、丸太をくり抜く丸木舟を原型としたサバニ。その造り方に、溝を彫るミゾキリカッターも駆使して臨んだ。
さらに、電動では出来ない細かい部分は、古くからある大工道具・釿(ちょうな)を使い、手作業で仕上げていった。
そして、ついに側面の板を彫り切り、造船計画の舞台はいよいよDASH島へ。

造船計画・フンドウ打ち2025/3/23

DASH島造船計画は、舟の側面の板に取り掛かっていた。
船長・太一が目指す全長9mの舟には、船縁の高さを上げる為仮止めだった2枚の板を沖縄伝統のくさび・フンドウでつなぎ合わせる必要があったが、舟一艘作るのにその数は280~300個という途方もない数だった。
スタッフも総出で、フンドウを打ち込む作業を続け、15日かけてようやく、側面の板が形になった。
ここからは、舟の両側面にあたる2枚の板を重ねて、全く同じ大きさにするため、カンナではみ出た部分を削っていった。
舟の側面は左右で大きさが少しでも違うと、舟のバランスが取れなくなってしまうからだ。
舟造りには欠かせない、曲線専用の反りカンナを使い、ピッタリ同じ大きさにする作業が続く。

一から舟作れるか!?2025/3/2

船長・太一主導で動き出した“DASH島造船計画"。
新たな舟には、沖縄伝統木造帆船・サバニを参考に造ることを決意。
だが、それは1枚の板を変幻自在に曲げ、流線型を形造る高度な技が必要だった。
そこで、サバニ作り経験を持つ職人・長嶺さんに指南を受けながら、長さ9mの杉の板の加工に取り掛かった。
使われていたのは、約80年前からサバニ造りには欠かせない、弾力性に富み、曲げやすい、宮崎の飫肥(おび)杉。
まずは、墨の付いた糸で思い描く形を板に書き記す、墨付け。
そのラインに沿って板を切り落とせば、舟の形が見えてきた。
目指すは、開拓メンバー全員が乗れる巨大な9mの舟。
それには船縁の高さが足りず2枚の板を仮留めしている状態。それを繋げるには、沖縄伝統の楔(くさび)フンドウを約300個、手作業で繋ぎ合わせる作業が待っていた。

造船計画始動2025/1/12

初上陸からの相棒、帆船ディーノ号は限界を迎えていた。
13年間、何度も荒波を越えてきた船体はボロボロだった。
そこで、船長・太一がディーノ号とのお別れを決断。
代わりに、自分達で一から舟を作る、造船計画を始動した。
船長の理想の舟が、沖縄の伝統的な木造帆船“サバニ"。
太一自身が17年前、その抜群の安定性と操作性を体感し、新たな舟の候補として目をつけていた。
特徴的な流線形が荒波を割ることで、船体が安定してスピードに乗り、オールの操作で舟の向きも簡単に変わる。
しかし、一枚の板から作り出されるサバニ、その製造には想像を超える過酷な作業が待っていた。