DASH島開拓史

癒しのシンボル・サクラを救えるか!?NEW2021/5/30

DASH島で唯一、花を咲かせ、実をつけるシナミザクラ。
しかし、隣に生えるシロダモの大木が影となり、陽を求めて地を這うように枝を伸ばしていた。
見兼ねたTOKIOと後輩たちは、福島DASH村の八重桜で学んだ経験を活かして、手入れをすることにした。
まずは、枯れて葉っぱも無くなってしまった枝を切り落す。
サクラは健康状態が悪い枝に、自ら栄養分を送るのを止め、その分、元気な枝へと回す。
枝の状態をはかるには、木槌で叩いた音で判断する打診。
枯れた枝は空洞が多く、叩くと鈍い音が。一方、元気な枝は、水分と繊維が詰まった甲高い音がする。
仕上げに、切り口から病原菌が繁殖するのを防ぐため、抗菌作用のある、水で溶かした灰を木口へ塗った。
そして、日陰の温床となっているシロダモは、木に支障がない程度に、陽が入るよう枝を選んで剪定することに。
倒したい方向に三角形の切り込み・受け口を入れ、その逆側に水平の切り込み・追い口を入れる、伐採の基本。
後は幹にロープを結び、滑車を使って狙った方向へ引き倒す。
TOKIOと後輩たちの連係プレーで、見事、サクラの木は陽を取り戻したが、せっかく真っ赤に熟したサクランボは、甘い実に目がないヒヨドリに先に食べられてしまった。

二代目DASH島味噌を仕込む2021/5/16

リチャードとシンタローが託された、DASH島の二代目味噌作りは、いよいよ仕込みの段階に。
大豆の代わりとなるハマナタマメとムカゴを茹でて、すり潰したら、48時間、不眠不休で育て上げた米麹を混ぜていく。
その麹菌が豆とムカゴのタンパク質を分解、旨味を引き出す。
雑菌を抑える藻塩は、城島の体を気遣って塩分控えめに。
全ての材料を混ぜたら、味噌の天敵である空気中のカビが入らないように、空気を抜きながら木の樽へ押し込む。
仕込んだ樽を確認した初代蔵元の城島は、タンパク質が足りないことを見越し、新宿産の大豆を持参していた。
そこで、新宿大豆も加えて、再び味噌を仕込み直した。
さらに、余った大豆を使って後輩へ豆腐を作ってやることに。
大豆を石臼ですり潰して煮込み、豆乳を絞り出したら、城島が事前に作ったニガリを投入。
ニガリは海水から塩を取り出した後の液体で、天然の凝固剤。
分量を間違えると豆腐としてうまく固まらないため、ここでも城島の経験と勘を頼った。
自作の型枠に流し込んで重石を載せ、水分を抜くこと30分。
出来上がったDASH島初の豆腐は、何とか固まったものの、絹ごしとも木綿ともとれぬ、微妙な口当たりだった。
さらに、城島の舌で決めたニガリの分量が多すぎたため、苦味とエグ味が強い味となった。

旬のメバルで城島新社長の就任を祝いたい!2021/4/18

この春、めでたく新社長に就任した城島を祝おうと、後輩のシンタローとリチャードがサプライズを計画。
春告魚と呼ばれる、今が旬のDASH島のメバルを使った豪華な料理を振る舞うことにした。
だが、メバルはこれまでTOKIOが釣るのに苦戦してきた魚。
そこで、シンタローは日中ではなく、早朝に舟を出した。
メバルは日中、岩陰に潜んで動かないが、天敵の少ない早朝や夕暮れに活発になる。
この作戦は大当たり、2人合わせて15匹の大漁となった。
まずは、メバルの刺身の舟盛を作るべく、シンタローがメバルを城島直伝の腹背背腹の三枚おろしに。
リチャードは余った木材で、帆船ディーノ号をモチーフにした盛り舟“小ディーノ号"をこしらえた。
さらに、もう一品、島の藻塩と片栗粉で塩釜焼きを作った。
メバルを島の昆布・クロメで包み、大量の藻塩を惜しげもなく使って、炭火で焼くこと1時間。
味も言うことなし、粋なサプライズに感動した城島だったが、苦労して作った藻塩が全て使われていたことに、少しやるせない思いだった。

無人島の味噌 リスタート2021/3/28

コロナ禍で島を留守にしていた100日ほどの間に、城島が1年以上、手塩にかけて育てた味噌がカピカピに。
そこで、今年は城島からノウハウを伝授された、後輩のシンタローとリチャードも加わり、味噌づくりを再スタート。
味噌は大豆と塩、種麹を米に付着させて育てた米麹で発酵させる調味料だが、まずはその原料探しから。
島に大豆はないので、その代わりとなる、浜に自生するハマナタマメ、森に自生する自然薯のムカゴを集めた。
そして、米麹を作るための新男米、海藻で濃縮した海水から作った藻塩、種麹はお世話になった蔵元から頂いた。
材料は揃ったが、問題は麹室と呼ばれる麹を発酵させる場所。
6年前の味噌づくりで、麹室として利用した北側の洞窟は、崖崩れの影響で入口が塞がれ、危険だった。
そこで、シンタローがレンガ造りで温度も保てる、反射炉を麹室として利用することを思いついた。
麹菌は40℃を超えると死滅、25℃を下回ると活動が停止。
米麹を作るには、麹菌が育つ最適な温度35℃前後を48時間キープしなければならない。
だが、薪を燃やして反射炉内の温度を上げると、50℃まで急上昇、しかも、大量の灰とすすが舞い、作業にならず。
そこで、炭で温度管理をする事で、これらの問題は解決した。
そして、新男米を硬めに炊いて人肌程度に冷まし、種麹を振りかけて全体に行き渡る様に混ぜたら、反射炉へ。
麹菌の活動が安定するまでの12時間、シンタローとリチャードが炭を調整しながら常に温度を見張り、夜通しの番。
さらに、スタッフも交代で付きっきりの48時間が過ぎた。
見事、麹菌が米に根付き、まゆの様な米麹が仕上がったが、味噌づくりはここからが本番だった。

無人島で“缶詰"作れるか?2021/3/21

寒さ厳しい2月、城島とシンタローは岩場でDASH島の冬の名物・マガキを獲っていた。
この旨味を蓄え大きく育った、旬のマガキを、どうにか他のメンバーにも食べさせたいと、「缶詰」にして保存することに。
これまで、様々な保存食を作ってきたが、缶詰は初めて。
まずは、缶詰作りに必要な缶を探して、浜を捜索した2人は、流れ着いた様々な形の缶を調達した。
だが、缶はどれも口が開いている。缶詰は中と外の空気を完全に遮断し、食材の酸化を防ぐことで長期保存が可能となる。
道具も技術もない無人島で、どう密封するかがカギだった。
シンタローのアイデアは、同じ形状の二つの缶の口を重ね合わせ、それを蓋代わりにして密封するというもの。
そこで、線路を曲げる道具・ジンクロを使って、即席の缶詰製造機をこしらえた。
ジンクロを台に固定し、その台に重ね合わせた缶を置いて、ネジを回して圧をかけ、押し込んでハメていく。
そして、缶に入れるカキは、菌の増殖や害虫を防ぐ燻製に。
そこへDASH島産のツバキ油を流し入れて、傷むのを防ぐ効果もある、オイル漬けの缶詰に。
ジンクロで密封させた缶詰を水に沈めて空気やオイルの漏れがないことを確認。
そして、1か月保存してから開封してみると、心配とは裏腹に、1か月前のカキそのままの味と風味を残していた。
こうしてDASH島初の缶詰作りは成功し、今後、様々な食材で缶詰を作る夢が広がった。

ロープウエー再生計画 決死の“石鎚山ロープウエー"2021/2/14

無人島に運搬革命を起こすべく、男たちは木の枝葉が落ちる冬を狙い、“ロープウエー計画"を再開した。
以前、集落跡から延びるケーブルを辿った際、その終点は頂上付近の尾根まで続いていたが、さらにそこから新たなケーブルが島の裏側(東側)に続いていることを発見した。
そこで、リチャードとシンタローが、まだ未開拓の島の東側の浜から、ケーブルを辿ってみることにした。
それに先立ち、シンタローはロープウエーについて学ぶため、城島と共に、西日本最高峰の石鎚山(いしづちさん)のロープウエーを訪れた。
索道技術士・綾香博美さんによれば、DASH島のロープウエーと石鎚山ロープウエーの基本構造はほぼ同じ。
リフトなどの索道(さくどう)と呼ばれる種類で、起点・終点・ワイヤーロープ・支柱・動力からなり、ゴンドラなどの搬器を循環させて人や物を運ぶ。
ワイヤーロープは、レール代わりにして搬器をぶら下げる支索、動力で引っ張る曳索(えいさく)の二つ。
その終点となる先端には、58tものコンクリートの塊が重りとなり、気温で変わるワイヤーの張り具合を調節していた。
さらに、重量40tのワイヤーロープが山を越えるために、すべて人力で組み上げたという3本の支柱が支えていた。
その構造を自分の目で確かめるには、ゴンドラの屋根に上って、斜面にそびえ立つ高さ61mの支柱のてっぺんへ乗り移らなければならなかった。
そうして、恐怖と寒さに耐えながら学んだ知識を持ち帰ったシンタローは、島の東側の探索でケーブルが山頂まで続いてることを確認。
その道中で発見した朽ちて倒れた支柱、レールの部品、木に埋もれたケーブル、動力となるエンジンを修復すれば、島の東側にもロープウエーを稼働させられると確信した。
一方、港跡に半年前から出没し始めた生き物がいた。
それは、秋から冬に旬を迎えるクロダイ、別名・チヌだった。
餌を求めて浅瀬に迷い込んだのか、60cm級のヤツが二匹。
しかし、食料にしようにも警戒心が強いチヌを獲るのは至難の業。
そこで、シラウオ漁で知られる伝統的な仕掛け“四ツ手網"を作って捕獲を試みた。
まず、4本の竹を束ねてピラミッド型に広げ、繋ぎ合わせた漂着物の網と一体化。
岸に打ち込んだ鉄筋の軸に足場丸太を固定し、先端に滑車を取り付けて、紐で引っ張ると網が上がる仕組み。
おびき寄せるため、チヌの大好物、牡蠣とムラサキイガイの殻を砕いて網の中央に撒き、スタンバイOK。
チヌが網の上に差し掛かったタイミングで一気に引き上げる作戦だったが、捕れたのはなぜか数匹のクサフグのみ。
折角なので、都内のフグ料理の名店で捌いてもらうことに。
クサフグはトラフグより強力な毒を持ち、食べられるのはほんのわずかな身だけだが、それでも食べ応えを重視して、作って頂いたのは湯引き。
その美味しさに感動した松岡はフグの調理師免許取得に意気込みを見せたが、シンタローは難色を示すのだった。

“弥帆(やほ)"を装備した帆船で再び航海へ2021/1/24

船長・太一は、乗組員の松岡とシンタローを招集した。
これまで、様々な改良を重ねてきた帆船・ディーノ号。
DASH島の特産物を積み、新たな島へ物々交換の貿易航海を目指してきたが、前回は荒波に呑まれ、4kmあまりで断念していた。
そこで船長・太一は、ディーノ号にさらなる改良を加え、今度こそ新たな島への航海を成功させようと目論んだ。
考えたプランは、新たに2枚目の帆を増設し、これまで以上に風を捉えて航行距離を伸ばすというもの。
日本の古典「太平記」にも記される“弥帆(やほ)"を船の前方に取り付ければ、推進力は格段に上がる。
しかも、頼りない船長をフォローするため、後輩のシンタローがあらかじめ一級小型船舶免許を自主的に取得していた。
その知識を生かし、弥帆はシンタローが手早く作り、設置する土台は松岡が仕上げた。
そして、風をより早く捕まえやすい砂浜から出港。
生まれ変わったディーノ号に乗り込んだ海賊たちは、弥帆によって増した推進力に意気揚々と航海を楽しんでいた。
しかし4kmを越えたところで、何隻ものタンカーが往来する海域に差し掛かった。
大型船が起こす激しい引き波に翻弄され、蛇行しながらも8kmまで進むことができたが、あえなく日没を迎え、船長の判断でDASH島に引き返すこととなった。

“味噌灸"と“温石灸"で城島の腰痛は癒えるか?2021/1/17

連日の開拓作業に年末年始の寒波が追い打ちをかけ、城島の腰は悲鳴を上げていた。
長年、城島を悩ませる腰痛を何とかしてあげたいと、弟子のリチャードが提案したのが、味噌を使ったお灸“味噌灸"。
通常のお灸と違い、モグサの下に味噌を敷くことで、味噌の水分が蒸発し、じんわりと患部の奥まで温める。
しかし、島の味噌もついに底をつき、何とか樽からこそぎ取った少量の味噌で試したものの、高温になりすぎて断念。
ならばと、リチャードが次の手、江戸時代から伝わる民間療法“温石灸(おんじゃくきゅう)"を。
お湯で温めた石を患部に置けば、石自体の熱で筋肉を緩め、痛みの原因となる血管の詰まりを解消。
しかも、遠赤外線でその効果が深くまで。
さっそく、浜に手ごろな石を探しに出たが、温石灸に使われる石は、保温性が高いマグネシウムや熱伝導率が高い鉄が豊富な火山岩。
しかし、無人島の浜辺に火山岩は見当たらない。
そこで、浜によく流れ着くという、火山岩より熱伝導率がいい花崗岩(かこうがん)、さらに、民家跡で調達した、保温性が高いレンガと、熱を通しやすい瓦で試してみることに。
すると、花崗岩は熱伝導率の高さから高温になりすぎ、瓦は熱しやすい反面、冷めやすく、温熱効果が薄かった。
そんな中、温石灸に一番適していたのは、レンガだった。
その高い保温性でゆっくり、じんわりと患部を温め、適度な重みが指圧効果も生んだ。