DASH島開拓史

ユリ根の片栗粉2016/12/25

DASH島の港跡に自生するコオニユリの“ユリ根"。
冬の時期、枯れたコオニユリの下を掘り起こせば、たっぷりと栄養を蓄え、大きく太ったユリ根が顔を出す。
これまでは、それを茹でて食べてきたが、今回はユリ根から片栗粉を作った。
片栗粉があれば、無人島の料理のバリエーションも豊富に。
ユリ根の土を洗い落としたら、粘りが出るまでペースト状に潰し、布に包んで水の中で揉みほぐし、デンプンを抽出。
これを撹拌しては水を入れ替えることで、重いデンプンが下に沈殿し、不純物が取り除かれる。
最後に一晩置いて乾かせば、真っ白な片栗粉となった。
そして、料理に使う食材は、手製のサビキの仕掛けで釣り上げた、脂ののったアジ。
開いたアジに藻塩を振り、ユリ根の片栗粉をまぶして、アケビ油で揚げれば、すべて島で作った材料で、“アジの竜田揚げ"が出来上がった。

“三十郎"で無人島に灯りを2016/12/4

冬が近づくと、舟屋は夕方でも薄暗く、作業が進まない。
そこで、無人島にも灯りが欲しいと、漂着したガラス瓶を加工して、オイルランプを作ることに。
しかし、その燃料となる“椿油"の調達には、1年を要した。
去年の秋、小島の北側の崖の上7mの高さに自生するヤブツバキの種を採ろうと、ブーメランを投げてみたり、竹の棒で叩き落としてみたりと、様々な方法を試みたが、どれも労力の割に効率が悪く、あえなく断念。
そもそも椿は、鳥に運ばれるよう実の中に種が出来る。
そこで、森の中を探してみると、ひっそりと自生していた、1本のヤブツバキを発見した。
これを「三十郎」と名付け、虫に食われた実を守るため、柿渋を散布し、煙で燻して虫退治、さらに、下にすだれを敷いて、爆ぜる種を待ち受けた。
そして、集めたおよそ200個の種からは、前回の4倍もの量を搾り出すことができ、このありがたい燃料で、DASH島に待望の明かりが灯った。

ヤモリの卵とヘビ返し2016/11/13

冬に備えて活力を付けるべく、栄養豊富なイワガキ獲り。
島の南側の岩場は、この日、大潮で、普段は海の中の岩が露わとなり、絶好のタイミングだった。
すると、岩全体にイワガキがびっしりと張り付くポイントを発見。
大量ゲットしたイワガキは、魚介類に合う、島味噌で美味しく頂いた。
一方、舟屋では、2階の梁に、いつの間にか、小さな卵が産み付けられていた。
これまでのDASH島での経験上、それはヤモリの卵と思われたが、そのヤモリを狙って、ヘビが捕食にやってくる危険があった。
しかも、ヤモリは、古来より家の守り神として祀られてきた生き物。
そこで、ヘビ嫌いの松岡が、ヘビからヤモリの卵、そして、自らの身を守るため、立ち上がった。
昔からネズミ除けに用いられ、ヘビ除けにも効果があるという“ヘビ返し"を作り、舟屋の四隅の柱に設置した。
これで、ヘビの侵入を防げると満足していた松岡だったが、舟屋の柱は全部で36本、“ヘビ返し"のない柱から、侵入される恐れがあるが…効果はいかに。

サメへの備え2016/11/6

DASH島周辺に出没するシュモクザメ。
このままでは、危険で漁が出来ないばかりでなく、漁場自体を荒らされてしまう可能性も。
そこで、沖縄宮古島のサメハンターに捕獲の方法を学ぶ。
島のシュモクザメより巨大で凶暴なサメがうようよいる宮古島で捕獲できれば、その経験は島でも生かせるはず。
サメハンターの延縄の仕掛けには、暴れるサメ肌で切れないよう、ロープにワイヤーが束ね合わされていた。
TOKIOがあげた仕掛けには3m超えのオオテンジクザメが。あまりの暴れ方に逃げられてしまったが、日を改め駆除を学びに来たAD足立の仕掛けには4m超えのイタチザメが。
あまりに大きさに、ロープに浮きを取り付け、潜ろうとするサメを疲れさせたところで船に縛りつけた。
無事に捕獲できたものの、一方で、DASH島の帆船は小さな木造。島では大物がかからぬよう、祈りつつ。もしもの備えにサメハンターから頂いたワイヤーを使い延縄の仕掛けを作った。

“反射炉"計画始動2016/10/30

4年近くにおよぶ無人島の開拓。
使ってきた道具はかつての島民の物を再利用してきたが、錆びたり、刃が折れたりとどれもボロボロに。
そこで、島に転がっている鉄を材料として溶かし、新たな道具に作り変えられないかと考えた。
そのためには、まず鉄を溶かすほどの高温になる炉が必要。
目を付けたのは、幕末、ペリーを始め、次々と押し寄せる黒船に対抗するため、幕府が大砲を作らせた炉。
達也は、手掛かりを求めて、世界遺産「韮山反射炉」へ。
そもそも反射炉と言われる訳は、ドーム状の天井に反射させた熱を、原料の鉄に一点集中させて溶かした。
さらに、その高い煙突15.7mの入口は狭くなっており、効率よく吸気を行なっていたため、炉の内部は、人力の送風無しで鉄が溶ける程の高温なったとも言われる。
そんな「韮山反射炉」、実は世界で唯一現存する反射炉だという。
現在でも、その目で溶けた様子を確認できた者はおらず、残る筆跡も数少ない、いわば伝説的な炉でもある。
つまり、DASH島でこの炉を完成させ、鉄を溶かすことができれば世界初の快挙ともなりうる。
しかし、反射炉を作るには、鉄を溶かす1000℃以上に耐える耐火レンガが必要だが、森の中の竈跡から調達したレンガは、それだけの高温には耐えられないことが分かった。
DASH島の反射炉計画は、まず、レンガ作りから始まる。

アロエの刺身と育毛剤2016/10/23

島の浜のすぐ脇に、20株ほどビッシリと生えているアロエ。
キダチアロエという種類のもので、葉の汁が傷や火傷に効くことから「医者いらず」とも呼ばれる優れもの。
沖縄など暖かい地域では栽培され、食べることもできる。
そこで、城島はその葉を採取して、苦みのある皮を剥き、包丁でカットして刺身に調理。
だが、葉肉が薄いキダチアロエの味は苦く、城島が2年かかりで作った調味料、島味噌をつけても食べれそうにない。
そこで、アロエに含まれるタンニン酸が持つ細胞活性化の力を生かした育毛剤作りに挑戦。
まずはアロエを千切りに刻み、それを石臼でペースト状にすり潰し、30分ほど鍋で煮込み、漉す。こうして、出来た育毛剤を、城島が万遍なく頭皮に塗って揉み込んでいく。
そして2週間後、髪質をチェックしてみると城島「髪にハリが出てきた気がするし、伸びるのも早くなった。個人的な意見やけど。」
効果は、あくまで城島個人の感想ではあるが、髪を元気にする無人島の育毛剤が完成した。

交換留学の手土産と新たな漁2016/10/16

初めて交換留学する「イッテQ!」のスタジオに持っていく手土産を用意するため、城島は特製のお茶作り。
調達したサルノコシカケを煮出し、さらにタラノキ茶をブレンド。島でいま一番効くキノコミックス茶に仕上げた。
一方新たな漁法を探していた城島は、「下駄釣り」に挑戦。遠浅の海で、鉄製の高下駄を履いて釣る江戸時代の伝統漁法で、舟の影に怯える魚たちもこれなら逃げることはない。
森の廃屋で見つけた鉄筋を組み、その上に漂着物の下駄を載せて固定する。高下駄は完成したが、見た目以上の、重さと高さに、履いて歩くことさえままならず。
結局、上手く乗りこなせず、釣果は小さなホンベラ一匹に終わった。

未開の大海原へ2016/10/9

島の周りで漁をする時も、重い荷物を運搬する時も、開拓には欠かせない、DASH島唯一の舟。
これまで、帆を立てて動力を設けてみたり、舵を取り付けて舟の方向をコントロールしてみたり、改良を重ねてきた。
しかし、この舟でもっと沖へ出ることができれば、多くの魚や新たな生き物との出会えるはずと、さらなる改良を試みた。
帆は強風にあおられた時に素早く畳める仕組みに改造、以前、荒波で壊れた舵は、土台を強化した。
そして、極めつけは“アウトリガー"と呼ばれる浮きの装備。
重心が高く、不安定な帆船の左右の揺れを抑えるその効果は、沖縄のサバニレースで学んだ。
それには、漂着物として集めていたブイを使い、さらに、曲がった木を使うことで、水面との隙間を無くし揺れを最小限に抑える工夫もした。
そして、いざ、未開の大海原へ出港。
沖へ出れば出るほど風は強く波は高くうねったが、そんな時、アウトリガーが効果を発揮。気づけば島から2kmの大航海。

無人島のビワ茶2016/9/18

これまで、無人島の様々な植物を煎じては、失敗を繰り返した城島。しかし、懲りない城島は、初夏に実る“ビワ"の葉を使い、今回もお茶作りに挑戦。
江戸時代から、夏バテ予防や腹の薬として親しまれていた「ビワの葉茶」。天日干しで成分を凝縮させたビワの葉に、お湯を注ぐだけだが、できあがったものは甘く、飲みやすいお茶に仕上がった。
しかし城島は、「普通においしいお茶」に物足りなさを感じ、さらなる味を求め、ビワの葉で紅茶を作ることに…。
半日陰干しして香りを引き出す萎凋(いちょう)、葉を揉み込んで酸化させ、独特の苦みと渋みを生み出す、揉捻(じゅうねん)という工程を踏み、これを、しばらく寝かせて発酵を促し、最後に鍋で炒って水分を飛ばせば、無人島の“ビワ紅茶"が完成。バナナやピーチのようなフルーティーな香りが出たが、飲んでみると白湯のような超薄味…。
原因は、金属の鍋で沸かしたこと。紅茶の味の成分は、鉄と反応するとなくなってしまうため、鍋の金属に反応して味の成分が無くなってしまっていた。

水路、完成2016/9/11

毎年、夏の恒例となったリゾラバは、松岡主催のゴルフ大会。
30ヤード・パー3の即席砂浜コース、流れ着いたステッキのクラブでの開催だったが、予想外の熱戦を繰り広げた。

そして、全長500mの水路計画は、大詰めを迎えていた。
最大の難所だった洲の上に三和土の水路を築き、あと残り
120m、ゴールの舟屋までは緩やかに下りながら木樋で繋ぐ。しかし、その行く手には、線路のレール、さらに、草木が茂る防風林があった。
そこで、線路を越えるため、達也は、木樋に溝の加工を施し、レールの下をくぐらせることで、切り抜けた。
一方、防風林は木樋が通るほどの隙間が無いため、10mの竹を二つに割って連結し、20mの竹樋とすることで、舟屋まで到達させた。
そして、ついに、およそ2年半という時間とさまざまな材料、労力を費やした、全長500mの水路が完成。
森の古井戸から舟屋まで、その路に水を流す時が来た。
TOKIOとスタッフ、そして、知恵を貸して頂いた匠たちが見守る中、水の筋は順調に森を越え、海を越え、舟屋に届いた。

水路最大の難所開通2016/9/4

北の浜に流れ着いた海藻“テングサ"を使って、夏の風物詩「ところてん」作り。
福島DASH村では、赤いテングサを洗って天日干しし、白くなるまで色素を抜いて作っていたが、島に打上げられたテングサは自然に揉まれ、すでに白く変化していた。
そのまま持ち帰ったテングサをトロみが出るまで茹で、搾った汁を常温で冷やして固めた。
ところてん突きは、ウナギの仕掛け・筌(うけ)と漁網の切れ端を代用して、こしらえた。
出来上がりは、少し柔らかいが、涼味としては十分だった。
一方、水路計画は、緩やかな傾斜で築いてきた石の土台も、終盤に差し掛かっていた。
三和土の水路は地面スレスレの高さに。
その先、石も小さくなり、軟弱になりかねなかった。
そこで、線路の保線マンの知恵を応用し、大きな三角形の石を組み合わせて、高さを調整できるようにした。
これなら、コンパクトでも波に負けない丈夫な土台となる。
そして、水路最大の難所だった洲の150mがつながった。
水を流すテストも問題なくクリアし、作業開始から9か月、ついに最大の難所である洲の部分が開通した。

進む水路づくりと意地のタコ釣り2016/8/14

水路づくりは、最大の難所・洲のおよそ半分まで到達。
これまで重労働だった、和製コンクリート・三和土を混ぜる作業も、左官のプロから教わったシートを使って混ぜ合わせる方法で、さらにペースアップ。
しかし、緩やかに傾斜をつけてきた水路は、すでに膝下の高さにまで低くなり、さらに、水路を作るためのスペースは狭くなり、作業はしづらくなる。
まだまだ、課題は多い。
一方、2年越しのリベンジを誓ったのは、港跡のタコ釣り。
白い物に抱きつくタコの習性を利用して、貝殻やサザエをエサに、テンヤ釣りを挑んできたが、どれも不発だった。
そこで、今年は、エサを動きのあるカニに代え、素早く食いつかせる作戦に。城島・松岡が箱メガネで水中を見ながら、仕掛けを引くが、一向にタコは食いつかず、釣果なしに終わった。
だが、撮れ高に不安を感じたスタッフが、再度挑戦。箱メガネを使わず、指先の感覚だけを頼りに仕掛けを引き上げることで、タコを釣り上げる事に成功した。

初めての文明の利器2016/7/24

水路計画は、最大の難所・洲で、波風に負けない土台作りに精を出していたが、もはやDASH島では、土台に適した石をあらかた取り尽してしまった。
そこで、石橋作りの師匠・石工の藤本さんを頼って、愛媛県北宇和郡鬼北町へ。
藤本さんの石工仲間、奥山さんの紹介で、硬くて頑丈な石、「ホルンフェルス」を譲って頂いた。
その石を島に持ち帰り、無事、土台作りを再開。
一方、城島が初夏の実り、ビワの種を使って、コーヒー作り。
鍋で焙煎し、臼で挽き、布でドリップした島特製の「ビワコーヒー」は、コーヒーと紅茶の中間のような味に仕上がった。

そして、半年前、松岡が不注意で破壊してしまった、舟屋のすべり棒を、達也の提案で、荷物も人も運べる人力エレベーター「昇降機」に作りかえることに。
滑車にロープをかけ、一方に人や荷物を載せるカゴ、一方に重りを取り付けて、1人でも昇降できるシンプルな構造。
カゴは邪魔にならないよう板型に、重りには漂着した木製の巻き芯ドラムの一部を使った。
なんとか完成した昇降機は、機能面で多少の不安は残ったものの、荷物運搬用としては十分。
DASH島に初めての文明の利器が誕生した。

水路の土台と投石機“ローリングストーンズ"2016/7/10

水路計画は最大の難所・洲に突入していた。
猛烈な波風に耐えうる水路にするため、その土台作りに取り掛かる。
形状の参考にしたのは、山口県の“錦帯橋"の橋脚。
洪水が多い錦川にかかるこの橋は、石が円形に積まれ、波風の力を逃がす構造。
DASH島の水路の土台も同じように、石を円形に並べ、その隙間を三和土で埋め固定していくことに。
しかし一つとして同じ形のない石。無造作に積んでいけば噛み合わない。形を見極め、地道に石を合わていく作業が続く。
洲の石橋まで残り97個。そんな時、手ごろな石を使い果たしてしまった。そこで島の北側で、波風で削られてない、崖から崩れた角ばった石を調達することに。
5kg以上の石を持ち、約300mの距離をひたすら往復する。足場の悪い場所での石運びに骨が折れたメンバーは、長瀬の思い付きで即席の投石器“ローリングストーンズ"を作製した。
動作テストでは思いのほか大成功。だが本番では、石の重さに耐えきれずに板が折れ、あえなく失敗に終わった。
その無念の思いを引き継いだスタッフが、板を丸太に替え、強靭に生まれ変わった投石器はフル稼働した。

梅雨のキノコ狩り2016/7/3

梅雨空が続くDASH島、雨上がりの山の斜面でキノコ探し。
まず見つけたのは、全体が薄い紫色に染まったキノコ。
有毒の“ウスムラサキシメジ"と無毒の“ムラサキシメジ"に似ていたが、危険な二択はしたくないと採るのを断念。
でも、結局それは、ナメコの仲間“キサケツバタケ"だった。
他にも、オレンジ色に輝く“ヒイロタケ"や、倒木に釘を打ち付けたような“ホソツクシタケ"など、湿気の多い時季ならではのキノコが顔を出していた。
さらに、ゴムのような質感の“オオゴムタケ"を発見。
これは3年前、食用と判らず、採り逃していたキノコだった。
舟屋に持ち帰り、少々湯がいて皮を剥き、ゼラチン部分を食べてみると、意外にも、しっかりとしたキノコの味がした。

ハマダイコンの漬物2016/6/19

1年前に見つけるも、収穫が遅れたためにかたく、食べられなかった、DASH島の浜に自生する“ハマダイコン"。
この日は、花が咲く前に収穫することができ、味わってみると、柔らかく甘かった。
この味わいをいつでも楽しめるよう、藻塩を使い、漬物を作ることにした。
ハマダイコンを、舟屋の軒先に吊るして乾燥させ、甘みを凝縮させたら、藻塩で漬けて、待つこと1週間。
本来は容器いっぱいに水分が出てくるはずが、島のものは、なぜかカラッカラでかたいまま。
乾燥させ過ぎたのか、残念ながら水分が溜まらず、味も成功とはいえなかった。

水路作り最大の難所へ2016/6/12

和製コンクリート・三和土の材料集めに精を出す中、水路作りは最大の難所、島の洲の部分の作業に差し掛かった。
ここは遮るものがなく、強風や高波に襲われれば、石で土台を作っても、水路はひとたまりもない。
それを回避するには、できるだけ低く緩やかな傾斜で水路を引く必要があった。
そこで、洲の起伏の中で最も高い、石橋の部分を目標に、その上スレスレを通過するように、徐々に傾きを付けていく。
そうすれば、結果的に最も低く、最も緩やかな傾斜となる。
用いたのは、江戸時代の測量の道具“水準器"。
これで高さを決め、そのポイントに漂着物の目印を付けていけば、水路の高さの基準となる。
そして、石橋から木樋まで270m、低く緩やかな勾配を付けながら、20箇所に目印を付けた。

“甘酒"作りと“U字型"水路2016/5/22

味噌作りに使った米麹で、DASH島特製の“甘酒"作り。
約60℃に保ったお湯に米麹を入れて、分解を促せば、8時間ほどで、甘くて美味しい甘酒が出来るはずだった。
しかし、温度管理を任された城島が、水を汲みに行っている間に煮立たせ過ぎてしまい、甘酒はおかゆ状態に。
仕方ないので一口食べてみると、意外に美味だった…。
一方、水路計画は、洲に潮風に強い水路を通すべく、和製コンクリート・三和土で樋を作ったが、強度がなく崩れた。
そこで、左官職人を島に招いて、一から作り方を見直した。
そして、コの字型だった樋の形を丸型にすることで、樋にかかる力を分散でき、裏表二回に分けて三和土を塗ることで、乾きにムラがなく、割れずに仕上がることを教わった。
さらに、シュロの木の繊維を混ぜ、強度を増して出来上がった新たな三和土の樋は、水が漏れることもなく、土が溶け出すこともない、納得のいく水路ができた。

足跡の正体2016/5/8

半年前、浜辺で見つけた獣らしき謎の足跡。
その正体を突き止めるべく、未踏の山中へ踏み入った。
急斜面を上り、険しい道なき道をかき分けながら頂上へ。
その道中には、獣が残したと思しき、痕跡の数々が。
ダンチクの繁み、獣道のような場所、掘り起こされた穴、木の幹に付いた泥や牙を研いだ痕…。
その特徴から、明らかにイノシシの仕業と思われた。
そこで、足跡の主がイノシシと確信し、痕跡のあった場所に、観察用の無人カメラを設置した。
すると、映像には文字通り、猪突猛進で駆け抜ける、1頭の大人と思われるイノシシの姿が。
どうやら、牙がなく、メスのようだが、これから初夏にかけて出産時期を迎えれば、子を産む可能性も。
DASH島のイノシシとどう共存するか、しっかり考えねば。

舟屋に“火棚"2016/4/10

春の陽で暖められた浜の石に集まる、ナナホシテントウ。
一方、春の日中でも耐え難い寒さなのが、舟屋の二階。
囲炉裏はあるものの、明かりを取るために窓は開けっぱなし、在り合わせの板を張った壁は隙間だらけで、隙間風がひどい。
そこで、棟梁・達也が手早く作り始めたのが、福島DASH村にもあった、囲炉裏の真上に吊るす小さな天井“火棚"。
さらに、これの上に竹を並べれば、囲炉裏から上がる熱気が部屋に拡散し、暖房効果を高めることができる。
留め具に鉄釘などの金属を使えば熱で膨張し、固定が緩む危険があるため、木の栓を打ち込んで組み上げた。
そして、囲炉裏の真上に、余った材木を加工した新たな梁を二本架け、そこに火棚を吊るした。

無人島で「島味噌」作り2016/3/13

昔から、家内安全・厄除けなど縁起物とされた、蜂の巣。
その恩恵にあやかろうと、城島は、冬の間に抜け殻となったスズメバチの巣を調達、舟屋の軒先に飾った。
そして、そんな城島が、DASH島初の調味料となる「味噌」を作りを始めたのが2年前だった。
味噌作りに必要な材料は、「大豆」「塩」「麹」の3つ。
大豆は島の浜に自生する、ハマエンドウと、ハマナタマメの2つで代用。
これを自分たちで再生した古井戸の水に2日浸け込む。
しかし、硬い皮に覆われたハマエンドウだけは中々、水を吸わず、手強い相手となった。
一方、塩は、海藻のアカモクを使った「藻塩」を作ることに。
アカモクを海水に浸けては干し、これを何度も繰り返すことで、海水の塩分濃度を上げ、最後にぎゅっと濃縮された海水を煮込めば、出汁も効いた「藻塩」がとれる。
最後は「麹」。こればかりは、島では調達できず、以前、お世話になった福島県会津にある八二醸造の蔵元に「種麹」を分けて頂いた。
米麹は、蒸し米にムラなく種麹を撒き、35℃前後を保ったまま、48時間かけて、麹菌を繁殖させなければならない。
勝負は菌が最も活発な初めの12時間、35℃を下回れば活動停止、40℃を超えれば死滅する恐れがあった。
温度を保つ「室」は、波の浸食でできた島の洞窟を利用。
城島は、丸2日、室の温度を一定に保つため、昼夜一時も目を離さず、薪を炊き続け、「米麹」の発酵に成功した。
そして、煮込んでペースト状に潰した豆に、出来上がった米麹と藻塩を加えて、味噌を仕込み、1年じっくり熟成させた。
途中、発酵を邪魔するカビの発生など、トラブルに見舞われながらも、2年かけ、ついに「島味噌」が完成した。
それは、赤味噌のような色合いに、しょっぱめの風味。
しかし、この島味噌を溶いた汁は、味噌汁とは一線を画す、無人島ならではの野性的な味に仕上がっていた。

“三和土(たたき)"水路作り開始2016/2/21

これまでも、島の“ヨモギ"で疲れた体を癒してきた城島。
今回は、伝統の民間療法「ヨモギ蒸し」で体力の回復を図る。
漂着物のシートで全裸の体を覆い、穴の開いたイスに座って、下から立ち上るヨモギの蒸気を直接、肛門で受け止める。
しかし、あまりの熱さに悪戦苦闘、ほとんど蒸気を受けることが出来なかったが、本人は満足したようだった。
一方、波風に耐える丈夫な水路を作るべく、和製コンクリート「三和土(たたき)」を学び、その材料のうち、唯一島にない石灰は、貝殻を高温で焼くことで作ることが出来た。
そして、水路のコの字の型枠を作り、そこに、鉄筋の代わりに竹を編んだ“竹筋"の骨組み、粘土と砂利と石灰を海水のにがりで練り込んだ三和土を流し込み、乾燥を待った。
だが、数日後、固まったかに見えた三和土は、乾きにムラがあり、そのせいで、型枠を外した途端に崩れてしまった。

動物の痕跡と新たな水路の素材2016/1/24

砂浜に残された、人間のものではない謎の生物の足跡。
その大きさから、足跡の主は100kg近くあると思われた。
正体を突き止めるため、足跡を追って入った竹やぶには、土を掘り返した穴や、タケノコを食べたと思われる形跡が。
そして、その先の未踏の山中でも、押し倒された植物、皮を剥がされた樹木と、次々、動物らしき痕跡が見つかった。
さらに、水場近くの小屋の先、岩石の崩落跡で、何かに襲われたと思われる、鳥の羽根が散乱していた。
まだ、正体は掴めていないが、何かがいることは確かだった。

一方、難関の洲に差し掛かった水路づくりは、波や潮風にも耐えうる材料と技術を求めて、愛知県へ。
そこには、100年もの間、海の波に耐え抜いた防波堤にも使われる、“三和土(たたき)"という左官職人の技術があった。
三和土は、土と砂利と石灰、そこににがりを混ぜて作るが、島では石灰を、貝殻を燃やして作ることにした。
貝殻が石灰になるには、およそ1000℃の高温が必要。
そのため、古来の送風機“フイゴ"を作り、空気を送って火力を上げ、貝殻が真っ白になるまで燃やし続けた。
こうして、無事に新たな水路の素材、三和土の材料を得ることが出来た。

洞窟と貴重な実、干し柿作り2016/1/10

ある日、崖の下に洞窟を発見。
そこに独自の生物がいるかもしれないと達也、松岡ペアとスタッフで二手に分かれて奥へ進んだ。
そこでスタッフが暗闇の中で、コキクガシラコウモリに遭遇。
ここはコウモリの棲家「バッドホール」みたいだ。
一方、山の食糧調達では、開拓において貴重な実を発見。
当初、ムベの実と思われた、砂浜上の斜面に生っていた青い実は、スイカの仲間の“キカラスウリ"。
熟すと甘くなり、煮出せばお茶に、さらに種からは、椿の実と同じような油も取れる。
まさに、真冬に貴重な山の幸、開拓の救世主となるのか。
そして、秋から始まっていた、DASH島の森に生る渋柿を使った“干し柿"作り。
鏡餅にも飾られる縁起物の干し柿で、正月の準備。
干し柿作りは、福島DASH村で経験済みだったが、その実の小ささと気候の違いか、うまく糖分が外に出ず、甘い干し柿とはならなかった…。