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もんじゃ焼きは、昭和の中頃まであちこちの駄菓子屋で食べられていた子供のオヤツ。 駄菓子屋の奥に鉄板があり、お店のおばちゃんが焼いて食べさせていた。当時のもんじゃは、小麦粉にキャベツだけだったり、お店、地域によって、揚げ玉、切りイカを入れたりして、ソースをたらして焼くだけなどのものであった。 |
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江戸時代の学校、寺子屋で小麦粉を文字の形に焼き、食べさせながら文字を覚えたのが文字焼き→もんじ焼き→もんじゃ焼きとなったと言われ、1819年に発行された『北斎漫画』に『文字焼き屋』の挿絵があり、その頃から売るお店もあったようだ。 |
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東京でもあちこちで見られたが、新しいお菓子などが入ってくると、次第にその姿は消えてしまう。 しかし、1988年の有楽町線月島駅に電車が運行するまで交通の便が悪く、船でしか行き来できなかった月島では、古い街並みとともに他では消えてしまったもんじゃ焼きが残った。 その後、名物として次々と店ができ、今では62軒もの店が立ち並んでいる。 |
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立ち寄った『近どう』は昭和25年創業の、月島で最も古いもんじゃ屋。昭和25年、月島にもんじゃ屋が2軒程しかなかった時代に店を開いた。 |