2014年3月16日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!? ~床板張り~

DASH島、穏やかな冬のある日。
一昨年10月から取り掛かった基地の舟屋づくりは、すべての壁を張り終え、完成間近となっていた。
しかし、いよいよ床板を張るという所で、無人島には、集める板がもう残っていないという事態。
この状況を救ったのは、またも達也だった。
舟屋の床に必要なのは、畳22枚分の分厚い板。
そこで達也は、運搬船が行き交う、ある水路沿いの町へと向かった。
愛知県名古屋港周辺は、貯木場の街。
徳川家康が名古屋城を建てる際に、水路や貯木場を作った。
現在も、各国から日々、木材が運び込まれている。
達也がやって来たのは、西部木材港の貯木場。
と、その先には海に浮かぶ丸太の上に乗っている人の姿。
それは、筏師(いかだし)。かつては、山で切り出した木を筏にし、河口の名古屋港まで川を下って運んでいた。
現在は、貯木場の木材の仕分けや管理が主な仕事になっている。
その出会いは6年前、ソーラーカーの旅だった。
この貯木場には、海外から運ばれた木材がおよそ1000本。
それぞれに異なる使い途があり、出荷の時を待っている。
達也「これ(木材)デカイな!」
海に浮かぶ丸太の中には、樹齢800年、直径100cmを超えるものも。
この中に、床板に使える木はないか。
すると、長年放置され、持ち主さえも分からなくなってしまった木材が、貯木場の隅にあるとのこと。
その木材、状態を確認したいが、
達也「どうやって(木材がある場所まで)行くの?」
と、丸太に乗ってさっさと行ってしまうベテラン筏師の渡辺さん。
渡辺さんは、15歳から筏師として生きてきた。
丸太の芯に乗り、回転させないことに集中し、カギザオで、オールのように漕ぐ。
急いで渡辺さんを、追いかけねば。
だが、さすがに、器用な達也も丸太は乗りこなせない。
そこで、木材が貯木場から流れ出ないように囲っている網場(あみば)という木を渡って、その木材の所まで行くことに。
距離は300m、足を置くと沈む不安定な足場を慎重に進む。
そして、渡辺さんに遅れる事15分、持ち主のいない木材の元へ。
数年間置いたままだったという木材。
海面から出ている部分には、雨や日光が当たり、草が生えてしまっている。さらに、
渡辺さん「(木材の)裏側にもシオムシが入ってる」
それは、木を食べて穴をあける貝の仲間、フナクイムシのこと。
水の上は日光や雨風、水中は海水やフナクイムシによって傷んでいる。
様々な事情で持ち主の手を離れ、放置された状態だが、山で長い年月をかけ、太く高く育った木、まだ生きているか…
達也「製材しないといけないですよね」
そこで、製材所まで専用の作業船で、丸太を曳いて行くことに。
ロータリーボートは、木材の合間を縫って働くため小回りが利く。
さらに、回して木の向きを変えたり、小さいながらも、押して移動させたりと力強いのも特徴。
しかも、2級の小型船舶操縦士免許があれば、操船できる。
ならばと、1級免許を持つ、船長・達也が運転をかって出た。
しかし、今まで操縦した船とは勝手が違う。
これまでの船の舵は、車のハンドルのように、舵を切れば切るほど、船は曲がって進んで行く。
一方、ロータリーボートは、操縦桿の舵を切ると、進行方向を示す矢印が回転、その方向に船は曲がって行く。
つまり、矢印を左に向けてアクセルを踏めば、船体が左回りに回転し、矢印を右に向けてアクセルを踏めば、船体が右回りに回転する。
では、船長・達也のロータリーボート初操舵。
達也「ちょっと舵を捻るとすぐ(船体が)回っちゃう」
舵を切りすぎれば、矢印はグルグルと回り、矢印が指す方に進もうとするため、船はとんでもなく不安定な動きになる。
とはいえ急がれる基地作り、練習もそこそこに製材所へ丸太を運ぶ。
貯木場を出て程なく、製材所は水門のすぐ先。
船長・達也は、この船の本当の難しさを舵を握って感じていた。
右へ舵を切ると、牽引する丸太はだいぶ遅れて右へと動く。
そして、舵を徐々に左へ戻していこうとした時、
達也「(船が丸太に)すごい引っ張られる!」
さらに、水の流れで丸太が押され、船があらぬ方向に。
すぐにコツは掴んだものの、製材所に近づくにつれ、船が通れる幅は狭くなり、ますます操舵が難しくなる。
そして、やっとのことで無事、製材所に到着。
「ヤトミ製材」の加藤社長は、木材加工のプロ。
丸太の表面が傷んでいても、中の部分が無事ならば、板や角材を切り出せるというのだが、長年放置され、たくさんの海水を含んでいる。
社長「まだ(材として活かせる)可能性はゼロではない」
全長12m、およそ2トンの木材、社長の目利きが始まった。
もはや、樹皮などの見た目では、種類を判別できない状態。
すると、社長が木材をちょっと削って中身をチェック。
社長「中身の色白いでしょ。たぶんアメリカの栂(つが)」
マツ科の栂は主に建材に使われ、床板にはもってこい。
この巨大な丸太、切る道具も規格外で、刃の長さ1.8m、重さ100kgの巨大なチェーンソー“デッキソー"。
その重みで、無駄な力をかけずに、太い丸太も一気に切り落とす。
気になる中身は、何とか使えそうとのことだが、まずは床板の長さ4mに切り揃え、縦割りにして、さらに中の状態を確認。
が、その前に金属探知機で金属の反応を確かめる。
社長「古い木材だから釘などが埋まってたら(加工時)危ない」
問題なければ、丸太を縦割りにし、腐りがないか確かめる。
作業は、特注した、日本最大級の帯ノコ式製材機を使い、高速回転する刃で丸太を真っ二つにする。
木の断面を見れば、DASH村で数多くの木に触れて来た達也は、すぐに分かった。
達也「ヤニ(黒い部分)が無くて、この木はいいよ!」
ヤニだけでなく、穴や割れも見当たらず、しかも腐りは外側だけ。
棟梁・達也の目利き通り、社長にもお墨付きをもらい、帯ノコで丸太を厚さ3cmにスライスしていく。
長年放置された丸太が板状に、必要なのは畳22枚分。
左右の腐った部分を切り落とすが、少しも無駄なく使いたいので、
達也「“有り幅"でお願いします」
つまり、木の世界でいう「腐った部分を切り落とし、板ごとに目一杯の幅を使う」ということ。
この作業も、帯ノコ製材機で貴重な丸太の使える部分を切り出す。
熟練の早業で、目だけで調整し、ノコの刃を、腐った部分ギリギリに合わせる。
有り幅で切ると、丸太のどの部分かによって、幅はまちまちだが、
達也「1本から切り出すから節の位置は同じだね」
これを、かんな盤で滑らかに仕上げる。
機械の中の刃が高速回転して、板の表面を3mmだけ削る。
本来は、板が十分に乾燥してからの作業だが、板の質の良さを見た社長曰く、大丈夫とのこと。
上から2mm、下から1mmと両面同時に削っていく。
表面だけを僅かに削った結果、作業前は、ささくれや歪みが見えた表面も、驚くほど滑らかに。
こうして仕上げた、栂の床板60枚。
畳35枚分と、少し余分に切り出せた。
社長「眠ってた木が活かされて、木も喜ぶ」
数日後、さっそく、この床材を持ってDASH島へ。
床材を積んだ台船、島に近づくと嬉しい驚きが。
達也「(舟屋に)壁があるとやっぱ全然違うね」
壁板を張り終わって以来、海から舟屋を見るのは初めてだった。
浜では、城島と太一が出迎えるが、
城島「(操縦)上手くなったな」
というのも、達也は初航海の着岸時、ゆっくり倒すはずのレバーを調整し損ね、荷役部分を、浜に激しく叩き付けていた。
今回は、静かに着岸、確実に腕を上げた。
そしてここからは、クレーン歴16年の城島が荷下ろし。
狭い船の上での作業、これまでは船首に突き出た柱に、材木をぶつけたり、そんな自分が許せなかった。
だが、これで3度目の正直、無様な姿は見せられない。
板は長さ4m、重さ600kg、一束20枚ずつを下していく。
そして、3度目にして初めて、無傷での荷下ろし成功。
この床材を舟屋までトロッコで運ぶ。
城島「レール敷くの大変やったけど良かった。運ぶの楽や」
きっと開拓の要になると3か月がかりで完成させたレール。
舟屋のある港跡まで、8往復ですべての床材を運び終え、達也の手で蘇った、樹齢100年の栂の床板を2階に張っていく。
しかし、思わぬことに気がついた。
太一「どうやって2階に上がるの?」
今のところ、足場以外に2階の住居に上がる方法はない。しかも
達也「上がったとしても、どこから入るの?」
壁は板で埋まり、入口もない。そういえば、
城島「2階建てって建てんの初めてやね」
14年前、福島・DASH村に建てた役場も平屋。
その隣に移築した母屋も平屋で、そもそも階段の発想がなかった。
達也「(端の部分は)床板を張らずに階段作ろう」
とりえず、床板張りを開始。
床板1枚目は柱の形に合わせて、厚さ3cmの板に切り込みを入れる。
これを2階へ運ぶが、1枚30kgにおぼつかない足下。
舟屋の幅ピッタリに切ってある床板は、向きを変えるのも簡単にはいかない。
苦戦しながらも釘打ち、一枚が終われば作業はスピードアップ。
序盤のもたつきが響き、この日は床板7枚に留まったが、これで、作業はいくぶんし易くなったはず。
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