2014年5月18日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

この日、作業の前に確認したいことがあった。
それは、無人島の森に咲いた倉庫跡の“シナミザクラ"。
ふた月ほど前、満開を迎え、その状態は3日間ほどだったが、
それから、あっという間に葉が成長し、
その内側には実らしきものが鈴なりに生っていた。
松岡「桜の木から(食用の)サクランボ?」
それは、出張DASH村で訪れた山形県で学んでいた。
サクランボの代表格・佐藤錦は、セイヨウミザクラという品種。
一方、ソメイヨシノは観賞用で、実は出来るが食用ではない。
DASH島のシナミザクラは、またそれらとは違う品種だが、
5月頃になる実は、食用。
実は以前、長瀬だけがこっそり味わっていた。
だが、いま生っているのは、まだ青いものばかり。
達也「食べ頃は鳥が教えてくれるよ」
しかし、鳥が食べ尽す前にいくつか味わいたい。
そこで、日当たりの良い倉庫の屋根に上がって、赤い実を探す。
予想通り、比較的、赤い実を見つけるも、味はまだまだ渋い。
と、ここで松岡、恒例の一句。
松岡「まだダメよ 甘くなるから 待っててね」
一方、新たな計画が動き出そうとしていた。
ちょっとした作業の合間の手洗いや、
漁や力仕事を終えて戻ってきた際に咽を潤すのに必要な水。
これまでは、森を入った井戸の水を汲み、
天秤棒で舟屋まで運んでは、水瓶に溜めて使っていた。
この無人島で生活水として使えるのは、森の奥にある井戸水だけ。
長瀬「やっぱり“水路"が必要だな」
達也が、半年かけて再生させた古井戸。しかし、
長瀬「(井戸から舟屋まで)500mくらいあった」
古井戸から浜までは150m、さらに、
開拓の拠点・舟屋までとなると、その3倍以上の道のり。
この距離の水運び、さすがの城島も音をあげるほどだった。
城島「(井戸から)舟屋まで水を引きたいよね」
そもそも水路は、河や湖などの水源から遠く、
水が手に入らない土地の為に考えられた知恵。
大分県に残る水路「明正井路(めいせいいろ)」は、
本流・支流を含め全長175km。大正13年に完成し、
90年経った今でも、農業用水を運び続けている。
そんな古くからの知恵を使えば、
井戸から直線で450mの舟屋まで、水を引いて来られるはず。
しかし、問題は距離だけではなかった。
水路を通すとなれば、最短距離を進めたいところだが、
実際に最短の距離を歩いてみると、思いのほか枝葉が生い茂った場所。
この木々が密集した間に、どう水の道を作るのか。
さらに、避けられない急こう配の上り坂“国分坂"。
洲に出れば、強風と荒波の影響をもろに受けるため、
それにも耐えるものを作らねばならない。
作業は一筋縄ではいかなそうだが、
長瀬「(水路の)途中でも水が出るといい」
つまり、舟屋以外にも必要に応じて水を使えるようにしたい。
そして、棟梁・達也は、井戸水の汲み上げ方法を考えていた。
今は滑車とロープを使って、力任せに引き上げているが、
バケツ1杯10kgほどは、四十肩の城島でなくてもキツい仕事。
まずは、汲み上げ方法から直さねば。
そこで、達也が訪れたのは、広島県福山市田尻町。
ここへ滑車に代わる井戸水の汲み上げ方を学びに来ていた。
住吉さん「“はね釣瓶(つるべ)"っていうのがある」
それは、奈良時代から水道が普及する昭和初期まで、
全国的に使われた井戸水の汲み上げ装置。
テコの原理によって、女性でも簡単に
井戸水を汲み上げる事が出来る、優れものだったという。
住吉勝巳さんは、田尻に生まれて88年。
水道が満足に使えなかった当時の農作業を詳しく知る方。
今はもう使われていないという、はね釣瓶を
住吉さんにその作り方、使い方を指南して頂くことに。
さっそく、裏山に案内して頂き、必要な木材を調達するが、
必要なのは、先が二股に分かれた、まっすぐな木。
選んだのは、10m以上はあるムクの木。
形、強度共に申し分ない。
達也が、DASH村でならしたチェーンソーで、
この木を倒し、さらに二股の部分を残して切り落としていく。
およそ4m、70kgにもなるその木材を今度は、
畑まで3人掛かり、平均年齢57歳の男たちが運ぶ。
では、畑の井戸で実際にはね釣瓶を組み立ててみる。
まずは、切り出した二股の部分に横木を取り付ける。
ノミで切り込みを入れ、横木をはめて固定し、番線で締める。
そして、横木に組み合わせるのが、
「跳(は)ね木」と呼ばれるシーソーの部分。
支点となる横木と重なり、最も重さがかかるため、
上下から挟んで、しっかり補強する。
その跳ね木には、強くしなりのある樫の木、長さはおよそ5m。
あとは天秤の片方にだけ石の重りを縛り付ける。
水を汲んでバケツが重くなっても反対に重りがあれば、
簡単に上げることが出来るという。
この状態で、総重量130kgはあるが、
これを地元の有志を加え、総勢6名の男たちが起こし上げる。
まずは、手早く根元を固定し、倒れぬよう3本の木で支える。
そして、天秤の先に竹を付け、その先にバケツを取り付ける。
住吉さん「よし、出来上がり!」
数十年前まで使われていた水の汲み上げ装置・はね釣瓶が完成。
実際に水を汲んでみると、10kg程のバケツが指先だけで、
達也「簡単に上がってくる!すげーラク」
これなら、DASH島でも立てられそうだ。
しかし、問題は島の井戸の深さ。
水面はここの井戸よりも、3m以上下にある。
住吉さん「(島には)もう少し、大きいの(はね釣瓶)が必要だ」
ともあれ、やってみるしかない。
島に戻った達也は、京都・伊根で頂いた長さ5mを超す古材を、
今度はDASH島の水汲み装置として蘇らせることに。
支柱となる材木と、シーソーとなる足場丸太と合わせて、
推定130kgの古材を選び、井戸まで運ぶ。
トロッコに古材を載せて、洲を越え、井戸のある森へ。
いつもはメンバーもビビる恐怖の下りの勾配、今日はそれを上る。
荷物を積んで上るのは初めてだが、なんとか走破。
しかし、春になり、枝葉も生い茂る森の中では、
長い材木と丸太は引っかかり、強引に進もうにも、らちが明かない。
井戸まではあと40m、こうなれば人力で運ぶ。
結局、舟屋から井戸まで40分かかった。
だが、大仕事はこれから。
まずは、跳ね釣瓶の要の部分。
広島田尻町では、二股のムクの木だったが、
ここDASH島では、運んできた材木に、
余った角材を組み合わせ、二股をつくる。
そこに、シーソーが載る、横木を固定。
かき集めた材料を使い、広島で学んだ形を再現する。
ここがシーソーの支点となる。
そして、横木に余った枕木を括り付け、重りにする。
広島では、窪んだ木材をあてがって、
長い天秤の部分を固定していた部分は、
棟梁・達也のアイデアで、余った角材で挟む仕様に。
最後に重ね合わせた部分を番線でしっかり締めて、
寝かせた状態で、全長10m、推定170kg。
あとは、1m程の支柱を立てるための穴を掘り、
そこに根元を突き刺して、起こし上げる。
作業はスタッフも合わせ、男9人で押し上げていく。
達也は、舟屋の柱を起こすのにも役立った刺股(さすまた)で、
支えながら手が届かない高い場所を押す。
そして、森の中に、はね釣瓶が立ち上がった。
重さ推定170kg、倒れぬよう木で固定し、
広島県田尻町で教わったものより、高さで2m、長さで3m、
はるかに巨大な、はね釣瓶となった。
では、深さ3mの井戸の水、ちゃんと汲めるか。
バケツ1杯、およそ10kgが、
長瀬「軽い、軽い!超ラク」
枕木の重りのおかげで、片手で軽々と汲める。
これで、井戸水の汲み上げ問題は解決。
そして、ここからが本当の水路作り…!
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