匠たち
三瓶 明雄(さんぺいあきお)
昭和4年11月27日生まれ

農協に紹介してもらった農業の達人。
昭和25年以降ダッシュ村の近くに住む。
戦後、家族で20年かけてこのあたりの土地の開拓をした。
野菜や米の作り方から動物の飼い方、大工仕事の基礎など
様々なことを教えてくれる。

衰えを知らない肉体と農業におけるあらゆる技術の蓄積で、
我々の村づくりをサポートしてくれている。

三瓶 金光(さんぺいきんこう)
昭和6年3月28日生まれ

10代の頃から山で働き、炭窯を作って炭を焼いていた炭焼き名人。
立ち上る煙の色で釜の温度を判断し、炭を作り上げる。
炭作りだけではなく、山の達人でもある金光さんは、樹木や野鳥などの
膨大な知識を蓄えている。
また、田植えや役場の建て直しなど困ったときにはいつでも
力をかしてくれるやさしい人物でもある。

三瓶 孝子(さんぺいたかこ)
昭和12年1月31日生まれ  

子供のころから母親の厳しい教えであらゆる漬物の技を体得した。
結婚後もさらに漬け方や味を独自で研究して
レパートリーを広げた漬物の達人。

味噌作りの腕も一流で、米味噌、麦味噌の作り方を教えてくれる。
また、作業中の差し入れや火災時の炊き出しなど、
いろいろと面倒を見てくる。まさにDASh村の母親的存在。

池田 末治(いけだすえじ)
[棟梁] 昭和8年10月2日生まれ  大工歴55年

電動の道具はほとんど使わず、ノコギリ、カンナ、金槌などの
基本的な大工道具のみで日本家屋を建て続けて55年。
崩壊寸前の家屋は、彼の的確な指示と判断力、
高度な技術によって見事よみがえった。

TOKIOがロケ終了後、「この棟梁だからこそ1日でここまでできた」と
口をそろえるように、棟梁としての人望は大変厚く、5人いる弟子たちは、
彼を父親のように慕っている。
モットーは「人生何事も経験、多くのことをやって、多くの人に会って、そこから学べ」。

細川 英重(ほそかわひでしげ)
[大工]  昭和26年6月20日生まれ 大工歴37年

池田棟梁の技と精神を受け継ぐ大工さん。
技術の細かさと、作業の速さには定評があり、ノコギリの引きの速さは
天下一品。
現在は伝統的な日本建築のみならず、洋風建築や集合住宅など、
幅広く手がけている。

大妻 鉄男(おおつまてつお)
[大工]  昭和50年4月27日

「気はやさしくて力持ち」とはまさに彼のためにあるような言葉。
雑木林の太い枝も彼がナタを持てば、一瞬にして倒れてしまう。
なお、正確なのこぎり引きや、すばやい釘打ちといった
大工さんの基本を完璧に習熟しているため、
DASH村家づくりにおいては棟梁の片腕として大活躍をした。

林 一(はやしはじめ)
[左官屋] 昭和22年3月12日生まれ

今となってはほとんど見ることがなくなった土壁の技術を受け継ぐ、
日本でも数少ない職人。
実際、林さんも、土壁を塗るのは20年ぶりくらいだろうと語っていたが、
昔とった杵柄とはまさにこのこと。

20年の時を隔てていても、技術は衰えず。
原料となる粘土質の土の見極め、わらの選定と裁断、壁土の水加減、そして、芯となる竹選びから切断、竹編みまで完璧にこなした。
左官業38年目の現在は、主にコンクリートの壁を塗っており、きれいに黒く焼けた肌が、日頃の仕事ぶりを物語る。

市川 三恵子(いちかわみえこ)
[大工] 昭和50年10月5日生まれ 大工歴8年

日本伝統家屋移築の際に指揮してくださった島崎棟梁が
講師をしている、富山国際職藝学院の建築職藝科の第一期生。
彼女の父親は大工を始めて40年という大ベテラン。
その父の影響で大工の道を選ぶ。
学院を卒業後、数多くの建築現場にたずさわり、その中には世界遺産の補修という大仕事もはいっている。
細い体のどこにそんな力が・・・と思うほどの力持ちで、30kgくらいなら
片手でひょいと持ち歩く。
その一方、女性ならではという繊細で丁寧な仕事ぶりは
島崎棟梁のお墨付き。ちなみに座右の銘は『七転び八起き』である。

深作 武(ふかさくたけし)
[瓦職人] 大正14年4月28日生まれ 瓦作り歴53年

25歳の頃から、瓦を作りに従事している。黄綬褒章や現代の名工(労働大臣表彰)などを受けたこともある職人。深作さんが瓦づくりの仕事を始めた頃はまだ手作業でつくる所もあったが、現在はすべて機械で作られている。「手作業で瓦を作っているのは、今、日本ではおそらくDASH村だけで、これが日本最後ではないか」と深作さんは言う。それゆえか、50年ぶりだという『タタラ盛り』を見る目はどこか感慨深げであった。
瓦を作るのに大事なのは「一に土、ニに窯、三に腕」だという。