2013年4月7日(日)/30分枠  25:20〜

あたいはやっちょらん 鹿児島大崎事件「再審格差」

制作=鹿児島読売テレビ

1979年、鹿児島県大崎町で男性(当時42)が牛小屋の堆肥の中から遺体で見つかった。原口アヤ子さん(85)は一貫して無実を訴えたが、共犯とされた親族の自白が決め手で有罪とされた。「やっていない罪を認める訳にはいかない」と仮出所の話も断り、判決通り10年間服役。「無実を勝ち取るまで死んでも死にきれない」出所後、原口さんは裁判のやり直し「再審」を求めている。裁判所の勧告で捜査機関の未開示証拠の存在が明らかになり再審無罪が相次ぐ中、鹿児島地裁は証拠開示を認めず、原口さんの無実の訴えに再審の重い扉を開くことはなかった。証拠開示に対するルールがなく、裁判所の「さじ加減」に委ねられている現在の再審制度。34年に渡る1人の女性の戦いの中から「再審の格差」が見えてくる。
ナレーター:湯浅真由美
=再放送= 4月14日(日)11:00〜「BS日テレ」/4月14日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2013年4月14日(日)/30分枠  25:20〜

離島ナース 医師のいない厳冬を守る

制作=山形放送

2012年春。山形県酒田市沖の離島・飛島から医師がいなくなった。人口240人の限界集落の島。後任は見つからず、行政が医師を派遣するのは週末だけ。海が時化る冬は派遣しない。住民の理解を得ないままテレビ電話での遠隔診療という体制での診療所再開だった。島民の不安の中、二人のベテラン看護師だけが残ったが、彼女たちに出来る医療行為は少ない。テレビ診療も休みとなった暮れから年明けにかけては、海が荒れ定期船は1週間欠航。こうした中、元旦に急患が発生した。急患に対応する酒田の病院の医師とも連絡がつかない。ヘリを要請するのは医師の判断。「これ以上、患者の様態を悪くできない…」看護師に重い負担がのしかかる。厳しい環境の中で、二人は懸命に島民の健康に向き合う。
ナレーター:中里雅子
=再放送= 4月21日(日)11:00〜「BS日テレ」/4月21日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2013年4月21日(日)/30分枠  24:50〜

わらいびと 桜守りと3000人の笑顔の山

制作=南海放送

愛媛県内子町立石相野。山の上の集落に、残っているのはただ一軒のお宅。竹崎勇さん(79歳)、一子さんご夫婦、と犬1匹が暮らす。勇さんは、いつも笑顔。いいシイタケが取れたら笑顔、好きな花を見ては笑顔、訪ねてくる人がいたら笑顔…。まさに、「わらいびと」。春…そんな勇さんが一年のうち一番心待ちにしている日がやってくる。勇さんの植えたしだれ桜が咲く日。花を見に、実に3000人を超える人々が勇さんの家にやってくる。ある人は写真を撮り、ある人は俳句を詠み、あるグループは三味線の演奏…勇さんの家はちょっとしたアミューズメントパークに早変わり…!山の下の集落のみんなも大張りきりでお手伝い、75歳の岡田さんは交通整理、若嫁さんは売店の売り子さんに早変わり。夜も見たいというお客さんのためには、ライトアップまで。桜が満開の一日…今年は果たしてどんな一日に?過疎という現実の中、笑い合って生きる夫婦と、美しく咲くしだれ桜の物語。
ナレーター:永田亮子
=再放送= 4月28日(日)11:00〜「BS日テレ」/4月28日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2013年4月28日(日)/30枠  25:50〜

オラだちのゆく道 23歳AD ふるさとの記録

制作=日本テレビ

日本テレビの報道局でADとして働く私。故郷は岩手県・山田町。震災1年が過ぎた頃から、故郷の友人達を撮り始めた。高校卒業後、山田町を離れ東京の大学を出て、テレビ局の報道の仕事に就く直前に震災は起きた。壊滅的な被害を受けた故郷の姿を、その後ADとして画面の中で見つめてきた。そこに震災後を生きる友人達がいる。高校の臨時教員のあっちゃん。生徒たちに強い気持ちで生きて欲しいと教師を志したが、安定した仕事のために故郷を離れる決意をした。復興を担う町役場に勤めるしゅんぺーは進まぬ現状に打ちのめされている。誰もが故郷のためにもがき苦しむその姿に、私は心を痛めながらカメラを向け続けてきた。友人だから見せてくれた被災地で暮らす心の葛藤を、今、伝えたい。
 
=再放送= 5月5日(日)11:00〜「BS日テレ」/5月5日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
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