2020年11月10日放送

金太郎飴(あめ)製造6代目、渡邊彰男さん。
どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴。
明治時代後期に、こちらの、金太郎飴本店の2代目が考案しました。
「当時、幼くして子どもが亡くなってしまう時代で、金太郎というのは
強い子どもの象徴みたいなところもありましたので、その願いを込めて作り始めました。」
水あめと砂糖を煮詰めて作った、およそ50℃の飴を、
顔のパーツごとに色をつけ伸ばします。
「4~5人でパーツを分担して口から組み上げていきます。」
この時、全てのパーツの温度を合わせないとしっかりとした顔になりません。
「軟らかい状態で組んでしまうと、潰れます。冷めすぎてしまうと、
伸ばそうと思ってもバチっと切れたり、暑い時、寒い時でタイミングが難しいですね。」
直径35cmもの巨大な顔を徐々に伸ばして切ると、約7000個の金太郎飴が完成!
「ちょっと不思議なところがあるんですけど、金太郎は金太郎であるんですけども
やっぱり、作る人になんとなく似ている顔になりますね。」
子どもたちの健康を願い、金太郎飴を作り続ける渡邊さんが共感する言葉…

「親思ふ こころにまさる 親ごころ」

幕末の思想家 吉田松陰(1830-1859)の言葉です。

「“子どもの成長を願って”という気持ちがうちの飴には入っていますので、
そこら辺の思いも届いてもらえればうれしいですね。」