放送内容

2016年4月13日 ON AIR

22年前 美女殺人事件の真実

ハワイ・アラモアナ公園。
近隣にある高級コンドミニアムで今から22年前、ある殺人事件が発生した。


殺害されたのは藤田小女姫(こととめ)。
占い師として絶大な影響力を持つ女性だった。


歴代の総理大臣や各界の著名人など交友関係も広く、テレビでも人気。
そんな彼女の死は22年たった今でも多くの謎が残る。
なぜ彼女は殺されなければならなかったのか?


"突然起こった謎の事件"


1994年。当時56歳の藤田小女姫はハワイに移住し始めて20年以上。
人脈や経験から経営のコンサルティングを生業とし、日本とハワイを行き来していた。
仕事では充実していた彼女だったが、一つ頭を悩ませている事があった。


それは息子の吾郎。
ハワイ大学の学生だった吾郎には自分名義のクレジットカードを渡していた。
そのカードを吾郎はたびたび友人に貸し、使わせていたという。


使った金は友人がそのうち返してくれると吾郎は言うが、
これまで返してもらえたことなどない。小女姫はそんな息子の金銭感覚を心配していた。


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そんな息子の問題を抱えたまま訪れた1994年2月23日。
小女姫のコンドミニアムから煙が出ているという通報があった。
駆けつけた消防隊員が部屋に突入。火を消し止めると、寝室のクローゼットの中から
一人の女性が発見された。


藤田小女姫だった。
既に意識はなく懸命な処置を施したものの、間もなく死亡。
さるぐつわをかまされていた彼女は胸を銃で撃たれていた。


警察が話を聞いたのはハウスキーパーの女性。
この日は休みで小女姫宅にはいなかったという。


ハウスキーパーによると息子とのお金のやり取りで揉める事はあっても
小女姫が誰かに恨みを買うようなことはなかったという。


そんな時、再び事件が起きた。
コンドミニアムから約5キロ離れたホテルの駐車場で赤いスポーツカーが燃えている
という通報があった。


警察が駆けつけると車の助手席から男性の遺体が発見された。
小女姫の息子、吾郎だった。赤いスポーツカーは彼の所有物。
両手両足は粘着テープでグルグル巻きにされ、胸を銃で撃たれた跡があった。


"強盗殺人と見て捜査"


警察は犯行の手口とタイミングから、同一犯と断定。
日本人母子が惨殺された事件として捜査を開始した。


日本のワイドショーも連日この不可解な事件を取り上げた。
一方で現地の警察は強盗事件の可能性が高いと見ていた。


捜査の中で、ある重大な証言を得ていたのだ。
証言者は小女姫の財産の管理をしていたセントラルパシフィック銀行の会長。
事件発生数時間前、彼の元に小女姫から日本円で約200万円を持ってきてほしいという
電話があった。


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誰かに脅されている様子だったため、会長は日本の総領事館に連絡し、
連絡を聞いた職員たちは小女姫のコンドミニアムへ向かった。
部屋に到着すると焦げ臭いにおいが立ち込めている。こうして事件が発覚したのだ。


警察は強盗殺人とみている一方で、親しかった人からは小女姫というより息子の吾郎が
何かのトラブルがあったのではないかという推測が挙がっていた。


そもそも、藤田小女姫が世の中から注目されるようになったのは終戦から5年後。
地元の新聞に何でも当てる天才霊感占い師として紹介されたことがきっかけだった。


美少女ぶりも相まってテレビでも取り上げられた彼女は、
やがて大手新聞社の社長室の隣に専用の相談室が設けられたり
時の総理大臣、岸信介から日米安保について助言を求められたこともあったという。


こうして各界の大物たちとも交流を深めていった彼女は数億円もの資産を築いていた。
しかし、自身が経営していたサウナの火災をきっかけに表舞台から去ることになる。


1973年、ハワイに移住。
子どもはいなかったが、吾郎を養子に迎え母子で暮らしていた。
そんな矢先の事件だった。


"奪われた宝石が質屋へ"


不可解な事件の捜査は当初難航したが、
一人の記者の情報から事態は一気に動き出すこととなった。


捜査の進展について警察がマスコミからインタビューを受けた際、
一人の記者から、盗まれた宝石が質屋に持ち込まれた形跡があるという情報が寄せられた。


その質屋は小女姫のコンドミニアムから300mの場所にあった。
宝石は事件の翌日に持ち込まれ、店主も彼女の事を良く知っていたこともあり、
元々の持ち主は彼女に間違いないという。


そして、この宝石を持ち込んだ人物が判明する。
名前は福迫雷太(ふくさくらいた)。日本人だった。


警察はすぐさま福迫の住む部屋へ向かった。
しかし福迫は恋人と共に姿を消していた。


その後の捜査の結果、福迫は事件の2日後、日本へ出国していたことが判明した。
福迫は事件の翌日に質屋で宝石を金に換えその翌日に日本へ向かったとみられる。
そして日本にいる友人宅へと身を寄せていた。


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福迫についてさらに調査したところ、カリフォルニアで銃の不法所持により
4度の逮捕歴がある事がわかった。
福迫は銃の密輸などを行い、暴力団ともつながりがあると思われる。


そして小女姫の息子の吾郎からお金を借りていた友人の一人でもあった。
福迫は常に金に困っており、部屋代や水道光熱費なども借金していたという。
警察はこの一連の事件の容疑者を福迫一本に絞り、捜査を進める事となった。


"福迫雷太を犯人と断定"


一方、日本にいる福迫はこの事件の新聞記事を読み驚いた。
名前こそ書いていないが、捜査線上にあがっている容疑者は明らかに自分。
この報道を知った福迫は神奈川県警に出頭。そして濡れ衣だと訴えた。


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捜査令状を出したハワイの警察は福迫の家の家宅捜索に踏み切った。
すると、部屋の中には不自然に切り取られたカーペットがあった。
よく調べてみると、血痕の様なものが見つかった。


さらに家主からの証言によると、元々備え付きだった2人用のソファが
無くなっているという。
警察は福迫が住むコンドミニアムに取り付けられた防犯カメラの映像をすべてチェック。
すると事件当日、エレベーターの映像に福迫と吾郎の姿があった。


2人で部屋のある13階へ向かった後、福迫1人でエレベーターに乗りどこかへ向かう
様子が映し出されていた。その後部屋に戻った福迫は再び台車を使って大きな荷物を
運ぶ姿が確認された。


この行動と事件発生時間が一致したこと、台車に付いた血痕が吾郎の物だったことなどから
ハワイ当局は福迫が犯人だと断定し、日本に身柄の拘束を要求。
こうして1994年8月に福迫はハワイヘ身柄を移されることとなった。


これは日本人が容疑者として外国へ身柄を引き渡される初めてのケースだった。


"裁判で無罪を主張。そして..."


そして裁判が始まった。
検察の主張は福迫の単独犯。そして提出されるものは全て福迫が単独犯であると
証明するものばかりだった。


一方、福迫は小女姫も吾郎も殺していないと無実を主張した。
そしてこの事件について何も話さないと語った。


弁護士はこの事件は福迫を犯人に仕立て上げたい別の人物の存在を主張し
ある証拠を提出した。
それは防犯カメラの画像のコピー。事件のあった駐車場から3キロ離れた場所にある
スーパーで買い物をしている福迫が映っていた。


そしてその時間は駐車場で車に火をつけた犯行時刻と約4分差。
福迫の単独犯ならば約4分で3キロの距離を移動しなくてはならずそれは不可能だった。


この証拠を元に弁護士は無罪を求めたが、
判決の結果、福迫は有罪判決が言い渡され終身刑となった。


あれから22年。
服役中の福迫から電話で話を聞くことが出来た。


電話先で福迫は元恋人や家族の安全が心配で当時色んなことが言えず、
今でもその時に起きたことについて話したくはないという。


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今もなお、事件の核心については黙秘し続けている。


藤田小女姫殺害事件。22年が経過した今も真実は闇の中だ。

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