放送内容

2017年8月 8日 ON AIR

恐怖のVX事件

今年2月、世界が凍りついた衝撃の事件。
マレーシアの空港で金正男氏が暗殺された。


使われたのは猛毒の神経剤VX。
顔面に塗りつけられ、それが皮膚から浸透して心停止となり死亡した。
人類が作った最も毒性の強い化学物質と言われている。


そんな危険なVX。実は22年前に日本で使われていた。
被害にあった男性は、リビングで苦しみ、それでも奇跡的に一命をとりとめた。


永岡弘行さん、現在79歳。
今も右腕麻痺など後遺症に苦しんでいる。
一体、なぜ永岡さんは、VXの被害にあったのか?


"初めて聞いた謎の新興宗教"


1987年。
自動ドアメーカーで営業職についていた永岡さんは、
仕事に追われる日々を送っていた。


専業主婦だった妻・英子と大学に通う息子。ごく普通の家族。
それが少しずつ壊れ始めた。


ある日を境に、息子が急に肉や魚を食べなくなった。
わけを聞いてみると...最近出会った新興宗教の教えで、
殺生はダメとされているからだという。


その新興宗教の名称はオウムと言った。
この時、永岡は初めてオウムという言葉を聞いた。


オウム真理教。1987年に設立された宗教団体。
のちに「地下鉄サリン事件」をはじめ、数々の凶悪事件を引き起こす。


教祖の名は、麻原彰晃。本名、松本智津夫。
彼は、世界的に有名な仏教指導者に認められたと語り、
空中浮遊などの超能力が使えると吹聴していた。


オウムで修行すれば悟り・解脱の境地に達することができる。
さらに超能力さえも使えるようになるという誘い文句を多くの若者が本気で信じ、
オウムに入信していった。


修行するには入会金が必要となるが、効果が無ければ全額返金。
気軽に試せるという事で若者の入会者が増えていく。


その中に永岡さんの息子がいた。大学の勉強についていけず悩んでいたという。
オウムに入信すると...教団への奉仕活動をしながら功徳を積むように指導をされた。
功徳とは「良い行い」という意味。
街中での勧誘など教団への奉仕活動をすることで功徳が積めると言われていた。


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奉仕活動をすると、仕事を与えられたことで一時的に悩みを忘れ...
それが功徳の効果だと言われると、素直に納得してしまった。
自身が持つ悩みが深ければ深いほど、信用してしまうのだ。


"オウムにのめり込んでしまった息子"


一度効果が出ると、もっと大きな効果を期待する。
息子が突然、永岡に30万円貸してほしいと言ってきた。


オウムの集中セミナーで合宿に行くための参加費だという。
このセミナーに参加をすると、修行の効果が飛躍的に上がると教団は触れ回っていた。
もちろんそんなわけのわからないものに大金は貸せるわけはない。


親からそう言われても息子はセミナーの合宿へと向かうため家を飛び出した。
費用は教団に借りるのだという。
この様にして多くの若者がセミナーに参加していった。


しかし、そこでは過激な修行が行われていた。
なんと気絶するまで息を止めたり、6時間も逆立ちをさせるなど異常なものばかり。
若者たちを極限状態に追い込み、教団は正しいと信じ込ませた。


信者となった者は、新たな信者を勧誘する。こうしてその数は3000人を超えた。
全国に支部が置かれ、そこで生活をするようになると、仕事を辞め、
財産を教団に差し出した者も多数現れた。


永岡の息子も...家族を勧誘しようと説法会への参加を勧めていた。
その気がないとわかると、親の言う事を聞かないなど息子は態度を豹変させる。


オウムとは何なのか?永岡は怪しく思い、息子の部屋に入ると、
「自分の有する全ての権利を麻原彰晃尊師に譲る」という遺言書を見つけた。


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若い息子にこんな事を書かせるなんて...やはりオウムは怪しい。
永岡は自分の目で確かめることにした。


"直接その目で見た麻原彰晃の姿とは"


見学と言う名目で教団を訪れた永岡はその目で初めて麻原を見た。
説法を聞いても言っている事が理解できない...全く信用できない男だと感じた。


そして、何度か説法を聞きに行った時のこと。
全盲と言っている麻原を試してみようと、布施として取り出した一万円札をわざと落とした。
すると...麻原は目でその金を追った。


さらにこんなことも。説法後の質疑応答の時間でのこと。
宗教家は一つの嘘もあってはならない...永岡はそれを麻原に確認したのち、
インドで修行に明け暮れていたと著書で語っていたその時期に、
警察に捕まっている事を指摘した。


実は、麻原は1982年に無許可でニセの薬を売りつけ、
薬事法違反で逮捕された前科があった。


動揺する信者たち。
すると、麻原は...それがどうしたと開き直ったのだ。
麻原はペテン師、そしてオウムは金儲けの集団だ!
永岡はこの時そう確信した。


しかし、息子はどんどんおかしくなっていく。
どれだけ教団の異常さを伝えても息子は聞く耳を持たなかった。


そして、最終的には家を出ていった。
永岡は何度も道場へ乗り込んだが、息子を見つける事は出来なかった。


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そんな中、自分と同じ悩みを抱える親がいることを知る。
永岡はこのような同じ境遇の親たち数人で警察へ行った。


しかし、警察は自分の意思で入会した息子たちは誘拐されたわけでも
監禁されたわけでもないという理由で事件性はないと言い、取りあってくれなかった。


"同じ境遇の親たちと被害者の会を設立"


警察に見放された永岡たちは、ある人物を頼った。
その人物が、坂本堤弁護士。オウムに子どもを奪われた親からの相談を受け、
教団側とも交渉を始めていた。


坂本弁護士にまず勧められたのが、被害者の会を作る事だった。
オウム真理教と戦うため12家族が集まって結成。永岡が会長となった。


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坂本弁護士は、信者を家族の元に返すことだけでなく高額な布施や、
血のイニシエーションといった修行、教団の反社会性に対しても批判の意見を出した。


教団からの妨害を受けながらも坂本弁護士はオウムの反社会性を訴え続けた。
そして最悪の命令が下ってしまう!


麻原が下した命令...「坂本をポアしなければならない」
オウムでのポアとは相手を殺してもその相手の魂は救われるという勝手な教え。
そして、教団は一家3人を手にかけた。


突然、消息不明となった坂本弁護士。
頭によぎったのはあの教団だった。
永岡は直感的にそう思った。しかし、まさか殺されているとは思いもしなかったという。


"命からがら戻ってきた息子"


そんな中、永岡さんの家に裁判所から書類が届いた。
それは息子が信教の自由を邪魔され、精神的苦痛を受けたという理由で父を訴え、
慰謝料100万円を求めるという内容のもの。
永岡さんは息子の意思ではなく教団がやらせているものだとすぐに気付いた。


坂本弁護士が姿を消して間も無く、麻原は幹部らとともに衆議院議員選挙に出馬。
そんなとき、永岡の会社に一本の電話があった。


どれだけ探しても見つからなかった息子からの電話だった。
その場所に急いで行ってみると、そこには選挙の応援に駆り出されていた息子の姿が。
他の信者を振り切り、永岡は息子を車に乗せてその場を去った。


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永岡は安堵した。ようやく息子が戻ってきたのだ。
それにしてもなぜ、いきなり電話をかけてきたのか?


もしかしたらオウムのスパイなのかもしれない。
半信半疑の中、お腹がすいたという息子を連れ、向かった先は肉料理の店。
オウムに入信し、食べなくなった肉...今はどうなのか?


そんな心配をよそに息子は美味しそうに肉をほおばった。
永岡さんはこの時、息子がオウムから解放されたと確信した。


追っ手から身を隠すため、草津の温泉宿に向かった親子。
そこで、息子が衝撃の告白をした。なんとオウムに入っていた時の記憶が無いという。


なぜ、記憶がなくなったのか?
年々、過激なものになっていったオウムの修行...末端信者の生活は劣悪だった。
蜂の巣ベッドと呼ばれる場所で寝泊まりし、頭に電流を流すヘッドギアを装着。
幻覚剤を混ぜた液体を飲まされたり、47度の風呂に15分入るという修行もあった。


それらは信者たちを肉体的に追い詰め洗脳するためだった。
息子がこれほど過激な修行をしたかは定かでないが、とにかく戻ってきた。


"選挙をきっかけに暴走する教団"


息子がオウムから解放されたと確信した永岡。その後、なぜかインドへ向かった。
麻原が仏教の最高指導者ダライ・ラマに認められたという事が事実かどうか
確かめに行ったのだ。


本人に会うことは叶わなかったがその弟子から、そんな事実はないという証言を得た。
この事がきっかけとなり息子は完全に目が覚めたという。
永岡はこの行動により本当の意味で息子を取り戻すことができた。


その後、オウム真理教は選挙で大敗。
すると麻原は選挙管理委員会絡みの大きなトリックがあったと主張し、
国家ぐるみでオウムを弾圧していると非難。
そして教団は国家転覆を目標に武装化を進め、サリン製造へと突き進んでいった。


一方、息子が戻った後も永岡は被害者の会会長として活動を続けていた。
被害者の会会長としての責任感が永岡を動かしていた。


息子も信者の洗脳を解くためのカウンセリングを買って出た。
そして25人の信者を脱会に導く事に成功した。


そんなときだった...1994年6月、松本サリン事件発生。
サリンで8人が死亡し、およそ660人が負傷した。


そのニュースを見た時、永岡はオウムが関与している事を確信した。
麻原が以前から説法会でサリンという言葉を使っていたのを何度も耳にしていたからだ。


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これに留まらず、オウムはさらなる恐ろしい兵器、VXの製造に乗り出す。
そして1994年9月、オウムはVXの製造に成功した。


"そしてVXの標的となった"


VXのターゲットになったのは永岡だった。
信者の脱会に力を入れていた被害者の会の会長である永岡は教団にとって邪魔者。
麻原は、どんな方法でもいいから永岡にVXをかけろ、という殺害指令を出した。


1995年1月4日。
永岡の自宅近くに信者たちが集まっていた。
家から出て来たら、後ろからVXをかける計画だった。


午前10時30分。
永岡は年賀状を出すために外出。
ポストに年賀状を入れようとしていたその時、背後からVXをかけられた。


その3時間後、午後1時30分。
昼食をとり終わった頃、体に異変が起こる。
永岡は家の中が暗く感じたと思った次の瞬間!急に大声で叫び出し、胸をかきむしった。


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とんでもない量の汗をかいていた永岡を見て、ただ事ではないと感じた妻は
すぐに救急車を呼んだ。


午後、2時25分大学病院へ。
運び込まれた時は、口から泡を吹いて発汗し、呼吸困難に陥っていた。
妻は永岡の体から噴き出る汗を何度もぬぐったが、
体温は34、9℃。非常に危険な状態だった。


医師の診断は、有機リン中毒。
農薬などを誤って飲み込んでしまった場合に発症する中毒だった。
しかし家に農薬などあるわけがない。


オウムの犯行だと思った妻は、再びオウムがいつ襲ってくる可能性も考え警察を呼んだ。
しかしオウムの犯行と結びつけてもらえず、自殺を図ったと思われ、
この時は取りあってはもらえなかった。


"あれから20年...現在も闘いは続いている"


一時は命の危険もあった永岡は、奇跡的に一命をとりとめた。


その理由はVXをかけられたとき、直接肌にはかからず上着にかかったことで
体に到達したVXが微量だったこと、また倒れたとき汗を拭き続けたことで
VXも拭き取られた可能性が高かったことだった。


1月19日に退院した永岡はオウムの犯行を疑い、ホテルに身を隠した。
彼はひたすら逃げるしかなかった。


その2か月後、地下鉄サリン事件が発生。
死者13人、負傷者およそ6300人、オウムが引き起こした凶悪なテロ事件。


事件から2日後、警察はオウム真理教の強制捜査を実施。
麻原彰晃を始めとする何人もの幹部たちが逮捕された。
その後、麻原の指示で実行犯グループが永岡にVXをかけたことも判明した。


永岡さんは右手の麻痺などの後遺症と戦いながら、
今も元オウム信者が開いた宗教団体から信者を奪還する活動を続けている。


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オウム関連の凶悪な事件で何の関わりもない人たちが被害を受けた。
そんな事件に関与している若い信者の親たちの苦しみを永岡さんは背負っている。


二度とこういう問題が起きない世の中にしたいと言う永岡さん。
償いきれない思いを胸に彼は戦い続ける。

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