放送内容

2019年9月17日 ON AIR

怠けている!!と言われた女子高生の本当の病名

ミス・ユニバース・ジャパン岐阜大会。
そこに出場した1人の女性...塚本明里さん、当時27歳。


華やかなステージをさっそうと歩く彼女。
実は彼女、重い病のせいで30分と起き上がっていることができない。


さらに...常に全身に激痛が走るため、毎日のように病院で全身40か所に痛み止めを打つ。
果たして、彼女を苦しめる病気の正体とは何なのか?


1990年、岐阜県可児市。
3人兄妹の末っ子として生まれた明里。


体に異変を感じたのは高校生の時だった。
数日前から頭痛があり...薬を飲んでも一向に良くならない。
我慢できないほどではなかったため、体育の授業も受け家族で旅行にも行った。


そんな時、恐ろしい症状が出始めた。
2007年5月8日。その日は朝から体調が優れなかった。


頭痛もひどく、熱っぽい...。
この日はテストがあったため、学校を休まなかった明里。


そしてその日のテスト中...急に血の気が引いていくような感覚が。
目の前が真っ暗になり...頭を上げていられなくなった。


熱を測ると...38度もあったのですぐに病院へ。
医師からは風邪だと診断され、薬を処方された。
しかし数日後、薬の効果で一時的に熱は下がったものの、またすぐに熱が出た。


体も異常にだるい。
頭痛に加え、腹痛や喉の痛み、気持ち悪さなど、ありとあらゆる症状が襲って来た。
まるでインフルエンザで高熱が続いているような感覚。


それでも学校を休むわけにはいかず、授業を受けた。
しかし、たった30分座っているだけで頭を上げていられなくなり、気を失うこともあった。


怠けている...理解してもらえない病


実はこの時、彼女を襲っていたのは...筋痛性脳脊髄炎という病気だった。
日常生活に支障が出るほどの強い倦怠感や疲労感が長期にわたって続く原因不明の病。


根本的な治療法は分かっておらず、日本の推定患者数はおよそ36万人とも言われる。
うち3割はほぼ寝たきりの状態だという。


この病が難しいのは、診断できる医師が少なく、通常の検査では発見できないこと。
明里もいくつもの病院を回り、さまざまな検査を受けたが異常は見られなかった。


不思議なことに調子の良い日は多少の運動もできた。
それでも30分が限界で、休みを取ることもしばしば。


異変は見た目には分からない。
だから...体育教師から「怠けすぎじゃないか」と注意を受けることもあった。


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なぜみんな分かってくれないのか...。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、新たな症状が。


それは...首への痛み。
原因は分からなかったがそもそも全身がだるく首の痛みだけを気にしていられなかった。


実はこの痛み、また別の病気によるものだった。
痛みは、やがて全身に。


スカートが少し肌に触れるくらいのわずかな刺激でも鈍器で殴られたような激痛が襲う。
さらには...安静にしていても全身に激痛が。その痛みで眠れない。


もちろん様々な検査を受けたが、原因は分からず。
その痛みも倦怠感も医師すら信じてくれない。


とうとう階段をのぼることもできなくなり...。
学校に行っても、ただ保健室で寝ているだけの毎日。


これも後に分かるが、彼女を苦しめる痛みの正体は...線維筋痛症と呼ばれるもの。
全身を原因不明の激痛が襲う病で、日本の推定患者数は200万人と言われている。


我々の体は、持続した痛いという刺激を受けると末梢から脳に信号が送られ続ける。
その信号を脳がキャッチすることで痛みを感じるのだ。


しかし線維筋痛症では、痛みをキャッチする脳の機能が誤作動を起こし、
わずかな刺激でも過剰な痛みとして認識してしまう。


明里がその病気を知ったのは、発症から1年も経った頃だった。
リウマチの専門医が彼女の異変を見て線維筋痛症だと特定したのだ。


病と向き合い、モデルへ挑戦!!


実はこの病、早期発見できれば治る可能性がある。
しかし彼女の場合、発見から1年以上かかったため、症状が固定されてしまっていた。


もう1つの病気、激しい倦怠感の筋痛性脳脊髄炎が分かったのもこの頃。 
診断結果を受けた事で学校もようやく理解を示し、特別室を用意してくれた。
この部屋で勉強し、なんとか高校を卒業することができた。


大学にも合格したが一日も通うことができず...家と病院を往復する日々。
少しでも体を楽にするため、週に4回、痛み止めの注射を打つ。その数、なんと40か所。
効果は数時間程度だが、苦痛から解放される時間が少しでもできることが嬉しかった。 


だからと言って、何でもできるわけではなく家でただ横になって過ごす毎日...。
そんな彼女の人生を、大きく変える出来事があった。


ある日のこと。
家にあったチラシを何気なく見ていると...モデル募集の広告を発見した。
一般女性たちをモデルにした、無料の写真集のようなものだった。


明里は、自分にもできるかもしれない...とモデルにチャレンジしてみた。
この写真集がきっかけとなり、明里はなんと芸能事務所と契約。
岐阜県のご当地タレントとして活動するようになった。


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そして2017年。
1人、車椅子に乗りながらミス・ユニバースに挑戦した。
そのワケは...自分の病気を多くの人に知ってもらうため。


あれから2年...症状はなんと少しずつだが良くなっているという。
実は数年前、彼女はもう1つ病気にかかっていることが判明。
それは...脳脊髄液減少症。


脳脊髄を包む硬い膜が破れ、髄液が漏れて脳が下がりダメージを受けてしまう病気。
実は、30分ほどしか頭を上げていられないのはこの脳脊髄液減少症が原因だと思われる。


そして、この髄液の漏れを防ぐ治療を始めると頭を上げていられる時間が伸びただけでなく、
なんと、少しずつだが体の痛みが和らいできたという。


週4回だった注射は、今では週2回に。
いずれは注射がなくても生活できるようになれば、と願っている。


今できることを探して、これまでお世話になった方々に恩返しがしたい...。
そう語る明里さんの闘いはこれからも続く。

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