山県有朋 1838〜1922 政治家
長州藩の下級武士である山県有稔の長男として萩に生まれる。吉田松陰の松下村塾で学び、尊皇攘夷運動に参加した。1863年に、上海に亡命した高杉晋作に代わって奇兵隊軍監として活躍、戊辰戦争では北陸道鎮撫総督・会津征討総督の参謀となった。 1883年には内務卿に就任して、自由民権運動を弾圧するとともに、市制・町村制・府県制・郡制を制定した。 1889年に内閣総理大臣に就任、軍備拡張を進める。1891年に辞任し、元老となる。現在、東京中心部の道路は狭いといわれているが、明治期の基準ではむしろ異常なほど広い道路だった。将来の発展を考え、周辺の反対を押し切って広い道路を作ったのは山県である。

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