若山 牧水
(1885〜1928)歌人
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。18歳のとき、号を牧水とする。明治37年(1904年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれる。明治44年(1911年)創作社を興し詩歌雑誌「創作」を主宰。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。明治45年、喜志子と結婚。その後、2女1男をもうける。昭和2年(1927年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に立つが体調を崩し帰国。翌年夏頃より病臥に伏し自宅で死去。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。
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