高村 智恵子
(1886〜1938)
明治〜昭和時代前期の洋画家、福島県出身。
太平洋絵画研究所で学び、青鞜(せいとう)社に参加し、
雑誌「青鞜」創刊号の表紙を描く。
大正3年、高村光太郎と結婚。
昭和6年頃から精神分裂病となり、療養生活をおくる。
療養中、多くの紙絵を制作。
昭和13年10月5日死去。53歳。
日本女子大卒、旧姓は長沼、本名は智恵。