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双葉山 定次
(1912〜1968) 昭和期の力士。大分県生まれ。 本名はあきよし龝吉定次。幼少時右目を傷つけ失明寸前となる。「栴檀は双葉より芳し」にあやかり、また恩人双川喜一氏の双をとり双葉山を四股名にする。昭和7年入幕。11年春場所七日目から14年春場所四日目で安芸ノ海に敗れるまで69連勝。この間の昭和12年、第35代横綱となる。優勝12回、勝率8割強。20年引退、翌年時津風を襲名。32年大日本相撲協会理事長となり部屋別総当り制、審判部の独立などの改革を初め、相撲の近代化と普及に貢献した。 |