松尾芭蕉 (1644〜1694) 俳人
伊賀国上野赤坂町(現在の三重県伊賀市上野赤坂町)に、松尾与左衛門と妻・梅の次男として生まれる。
俳号は、芭蕉(署名は「はせを」)という徘号は庵号(芭蕉庵)に由来するもので、日常的にはよく使用していたが、神仏に奉献するなどの改まった場では桃青、芭蕉桃青などと署名した。
若くして、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕え、2歳年上の良忠とともに北村季吟に師事して俳諧の道に入った。1666年に良忠が歿するとともに仕官を退く。1675年に江戸に下り、神田上水の工事に携わった後、1678年に宗匠となり、職業的な俳諧師となった。1680年に深川に草庵を結ぶ。1689年、弟子の河合曾良を伴って『奥の細道』の旅に出、1691年江戸に帰った。その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の辞世の句を残して客死した。享年50。

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