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平賀源内
(1728〜1780) 発明家・本草学者 高松藩志度浦(現在の香川県さぬき市)の身分の低い武家に生まれた。幼少の頃、掛け軸に細工をした「お神酒天神」を作成し、その評判がもとで13歳から医師の下、本草学を学ぶ。1752年頃に長崎へ遊学して1年間本草学とオランダ語、医学、油絵などを学び、その後は大坂、さらには江戸に出て本草学者 田村元雄に弟子入りして蘭学を学んだ。2回目の長崎遊学では鉱山の採掘や精錬の技術を、1773年には秋田藩の佐竹義敦に招かれて鉱山開発の指導を行い、その一方で秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝える。1776年には長崎で手に入れたエレキテルを復元する。 1778年、2人を殺傷して投獄され、翌年獄死、享年52。 |