川上貞奴 1871〜1946 女優
東京・日本橋の質屋・越後屋の12番目の子供として誕生。1891年、俳優の川上音二郎と結婚した。当初は苦労も多く、音二郎の衆院選落選により資金難に陥り、1898年に2人でボートに乗り、国外への脱出を図るという挙に出たこともある。この試みは失敗し、淡路島に漂着して一命を取り留めた。 1899年、川上音二郎一座のアメリカ公演に同行したが、そこで女形が死亡したため急遽代役をつとめ、日本初の女優となった。1901年にはヨーロッパでも公演を行い、「マダム貞奴」の通称で一躍有名になった。彫刻家ロダンが彼女を口説き落とそうとしたが、断られたという逸話もある。 福沢諭吉の娘婿で「電力王」の異名をとった実業家・福沢桃介(旧姓 岩崎)との関係も話題を呼んだ。 音二郎の死後、公然たる愛人関係に発展。2人並んで公の場に姿を現すようになり、1920年頃、2人は同居を始めた。2人が住んだ邸宅は「二葉御殿」と呼ばれ、政財界など各方面の著名人が集うサロンとなった。 1946年、膵臓癌により死去。享年75。

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