ヨハンナ シュピリ
Johanna Spyri(1827〜1901)
1827年、スイス・ヒルツェルに生まれる。父・ヨハンナ ホイサーは医者。母・メタ ホイサーの実家は牧師。
14歳でチューリヒに出て語学や音楽を勉強し、16歳で新教の堅信式を受ける。まもなく、フランス語地方のイヴェルドンに行き、数ヶ月滞在する。
25歳で弁護士のヨハン ベルンハント シュピリと結婚しチューリヒで暮らし始める。
28歳のとき、息子ベルンハント・ディートヘルムを出産する。
1871年、44歳のとき処女作、短編「フローニの墓の上の一葉」を匿名で刊行する。
また、1878年には子供の小説集「ふるさとを失って」を匿名で刊行。
そして1880年(53歳)には、「ハイジの修行時代と旅の時代」を匿名で刊行。翌年には、ハイジの続編を出す。
しかし、1884年の5月に息子が、12月に夫が逝去。悲しみに暮れるが、1886年に、短編集第2部で児童作家としてカムバック。
1901年に、最後の作品「シュタウファーミューレ」刊行。同年7月7日、74歳でチューリヒで永眠。