楊貴妃 (719〜756) 皇妃
蜀出身。あまりにも玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたので傾国の美女と呼ばれる。楊貴妃は元々玄宗の息子の妃の一人であったが、玄宗に見初められたために、一時的に道士となり、その後で、玄宗の後宮に入った。玄宗は政治を顧みなくなり、楊貴妃の従兄の楊国忠の専横を許すこととなった。楊国忠は権力争いのライバルである節度使の安禄山を蹴落とすために玄宗に讒言を行った。これに危機感を覚えた安禄山は反乱を起こした。
首都である長安から逃げ出して蜀へ向った楊貴妃たちだが、兵士達は乱の原因となった楊国忠を強く恨んでいたため、彼の部隊を包囲して殺害した。さらに兵士達は、玄宗に対して楊貴妃を殺害することを要求したため、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死(首吊り)させた。

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