■ 宝積寺(ほうしゃくじ)   11月23日放送

豊臣秀吉が明智光秀と雌雄を決した山崎の合戦。そのとき秀吉の本陣が敷かれたのが天王山にある宝積寺です。
創建は聖武天皇の命によるといわれ、1300年近い歴史を誇ります。本堂には秀吉が戦勝祈願したという毘沙門天があり、また三重塔は秀吉が主君・信長の菩提を弔うために建てたとも言われています。このお寺に博物館から17年ぶりに戻ったのが、地獄の庁で死者を裁く閻魔王と4体の眷属(従者)の像です。
生前の罪を読み上げる倶生神(ぐしょうしん)。裁きの結果を書き記す闇黒童子(あんこくどうじ)。罪人を厳しく咎める司録(しろく)。一方で、善いこともしたと弁護する司命(しめい)。そして、裁きを下す閻魔王。鎌倉時代に作られたという5体の像はいずれも威厳に満ちています。




明智光秀と雌雄を決した羽柴秀吉は、ここ天王山の宝積寺に陣を据えました。



聖武天皇が創建した、千三百年の歴史を持つ古いお寺です


朱塗りの三重塔は、秀吉が主君・織田信長を弔うために建てたといわれています。


この秋、十七年ぶりにお寺へ戻ったのが、鎌倉時代に作られた閻魔王(えんまおう)と4体の従者です。

生前の罪を読み上げる、倶生神(ぐしょうしん)。

闇黒童子(あんこくどうじ)は裁きの結果を記します。


罪人を厳しく咎める司録(しろく)。

片や、弁護をする司命(しめい)。


そして、閻魔王の雷鳴の如き一喝は古と少しも変わらず、人の心を糾します。



今日では天王山といえば巨人VS阪神戦など天下分け目の一戦に例えられますが、もとはといえば織田信長を討った明智光秀と、雌雄を決した羽柴秀吉の山崎の合戦のことです。
この界隈は桂川、宇治川、木津川の京都を代表する三川が合流し、淀川と名前を変えます。川を挟んで天王山の対岸は石清水八幡宮の祀られている男山です。往時の風光はさぞ趣に満ちていたことでしょう。今では高速道路のインターチェンジが建設中で、残念ながら景観は失われつつあります。
今回は取り上げませんでしたが、宝積寺は別名「宝寺」といわれ、境内に祀られた大黒天のご利益が古くから崇められてきました。
新年には、開運、繁盛の祈祷を受ける人が絶えないそうです。福財布に銀杏を入れ、寺に伝わる打ち出の小槌で叩いていただき、福が逃げないよう家に着くまで無言で急ぐという、珍しい祈祷は冬の宝積寺の風物です。


「 KAGERO 」
作曲/演奏:SENS