■ 金地院 (こんちいん)7月19日放送

金地院は室町時代に創建された禅寺ですが、時代の脚光を浴びたのは江戸時代初めのこと。
わずか37歳にして南禅寺の住職になった金地院(以心)崇伝は徳川家康に近侍し、外交使節として公家との調整役を担うなど、江戸幕府の権力強化に一役買いました。その権力を持って彼は南禅寺の塔頭として金地院を再興したのです。
寺には往時の権勢を偲ばせる遺産が多く残されています。
方丈は伏見城の遺構を移したもの。その前の「鶴亀の庭」は徳川家万代の行く末を鶴と亀に託したもの。その庭と茶室・八窓席はともに小堀遠州の作。書院の襖絵は長谷川等伯の「猿猴捉月図」。そして、家康の遺髪を納めたという東照宮には狩野探幽の鳴龍が描かれています。




およそ6百年前に創建された金地院。
この禅寺は徳川家康の外交使節として力を握った南禅寺の僧、金地院崇伝(こんちいんすうでん)が再建しました。


伏見城の建物を移したという雄大な方丈。
そこには崇伝が将軍家と対面したという上段の間があり、寺の権勢を偲ばせます。



その前に広がるのは、徳川家の繁栄を鶴と亀に託したという、小堀遠州作の鶴亀の庭。

同じく小堀遠州の手になる茶室・八窓席(はっそうせき)が残されています。


書院の襖絵は絵師・長谷川等伯が中国の絵を基にしたという猿猴捉月図(えんこうそくげつず)。

水面の月を捕らえようとする猿の姿が巧みに描かれています。


境内の奥深くには徳川家康を祀った東照宮があり、狩野探幽の鳴龍が神殿を守り続けています。



徳川家の威勢を留める金地院です。




金地院は南禅寺の中門の南側、あまり目立たない場所にあるせいかこの季節は静かに拝観できます。
驚くのが方丈のスケールの大きさ。番組ではわかりづらいのですが、庭に面した障子は高さ3メートルもあり、張り替えるときの苦労を想像してしまうほど。他にも多くの文化財が残され見所の多い寺です。
それにしても禅寺の中でも最高位の「五山の上」とされる大本山・南禅寺で、37歳(おお、私と同じ年では)という若さでいかにして崇伝は住持となり、さらに家康に取り入ることができたのか?
歴史辞典などを紐解いてもその人となりまではわかりませんが、これぞ歴史の面白さではないでしょうか。番組でも紹介しましたが、寺に残された崇伝37歳の像を見る限り、彼はなかなかの美丈夫。そのあたりに秘密を解く鍵がありや、なしや…?



「 For the Rainy Days 」
作曲者:David Hoffner
演奏者:Silent Sounds