■ 金戒光明寺 (こんかいこうみょうじ)
  西翁院 (さいおういん)
 12月27日放送

浄土宗七大本山のひとつ金戒光明寺は、法然上人が念仏の輪を広められるのに庵を結ばれたのが起こりです。
室町末期の応仁の乱によって焼失しましたが、信長・秀吉らの庇護を受け、江戸時代になると徳川家の援助を得て復興しました。
幕末期には京都守護職に任命された会津藩主・松平容保(かたもり)の本陣が置かれ、容保の遺墨や会津藩士の鎧などを今に伝えます。
金戒光明寺の塔頭・西翁院は、小堀遠州や千宗旦(そうたん)に師事した江戸時代の著名な茶人・藤村庸軒(ようけん)の祖父源兵衛(西翁)の創建で、庸軒作といわれる淀看席(よどみのせき)があることで知られています。



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東山のふもと、黒谷(くろだに)に建つ金戒光明寺。
広大な境内には伽藍が立ち並び、大本山の風格が漂います。


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来年1月10日から特別公開される大方丈。
昭和の再建によるものですが、鮮やかな金襖で飾られた堂内は、威厳と静寂に包まれています。


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凛とした美しさを誇る阿弥陀如来。


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幕末期に京都守護職を任命された会津藩主・松平溶保(かたもり)の遺品。
溶保は、動乱の中、城構えのこの寺に本陣を置きました。
会津藩ゆかりの寺宝を前に、幕末の歴史に思いを馳せるひとときです。

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金戒光明寺の塔頭・西翁院(さいおういん)。
普段は非公開のこのお寺も、この冬、特別拝観されます。
江戸時代の茶人・藤村庸軒(ふじむら ようけん)によって造られた茶室・淀看席(よどみのせき)。


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かつては遠く淀川まで見渡せたという金戒光明寺。
まもなく新年を迎えます。


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金戒光明寺は幕末期に京都守護職として入京した会津藩の本陣となった処で、新撰組は、この会津藩の預かりとして京都の警備に携わることになったそうです。
今回展示される寺宝の中には日鑑(お坊さんが書く日誌のようなもの)があり、新撰組の池田屋事件を記した頁もありました。境内の一角には、維新戦争で倒れた藩士たちが眠る「会津藩殉難者墓地」もあります。
また、富岡鉄斎の屏風「空山無人図」や古地図など、貴重な資料が数多く展示されます。
番組でもご紹介した「虎の間」の襖絵は、一部がだまし絵のようになっていて、左端の襖を開けると3匹いた虎が2匹になります。(隣の「松の間」との間にある襖です)
開け閉めして見ることはできませんが、真ん中の虎の胴が少し長いのには、そんな理由があるんですよ!

西翁院は、金戒光明寺の御影堂大殿から歩いてすぐのところにあります。茶室・淀看席を造った藤村庸軒は、侘茶の奥義を極めた江戸時代の茶人。茶室の下地窓から伏見・淀川まで遠望できたことからその名が付けられました。
今は残念ながらその眺望を拝むことはできませんが、庭園から京都の町並みを見下ろすことができます。


「 magnificent river 」
作曲者:Patrick O’Hearn
演奏者:Patrick O’Hearn