■ 一休寺 (いっきゅうじ)
  7月24日放送


正応年間(1288〜93)に南浦紹明が建立した寺を一休禅師が再興し、法祖の恩に報いる意味から酬恩庵と命名。一休が63才から88才で死ぬまでの晩年を過ごしたため一休寺と呼ばれています。80才を超えて大徳寺の住持となってからもここから通うほどこの寺を愛していました。 広い境内には重要文化財の本堂・庫裏・方丈が点在し、宝物殿にはゆかりの御物が展示され一休の遺徳が偲ばれます。



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京の南 京田辺の禅寺・一休寺。
鮮やかな青葉に包まれたこの寺は
頓智話で名高い一休さんが亡くなるまでの晩年を
過ごした寺です。

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天皇の子として生まれた一休宗純は厳しい修行の末、
権威や悟りさえも否定し酒場や遊郭に入り浸ります。

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禅僧からは破戒僧と罵られながら 
庶民からは生き仏と慕われました。

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一休は七十九歳の時、虎丘庵で盲目の女旅芸人と
暮らし始めます。

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四十歳年下の女性との年老いた禅僧の恋。

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自作の詩集には2人の性愛の様子までが赤裸裸に綴られ、
一休の常識にとらわれない奔放な生き方は
亡くなるまで衰えることはありませんでした。

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正月に髑髏を持ち歩き「門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」と詠んだ反骨の僧一休。
その生き様に想いを馳せる一休寺です。

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天皇の子として生まれながら仏門に入り、乞食同然に各地を放浪し自殺未遂の末、カラスの鳴き声を聞いて悟りを得た一休禅師は、頓智の一休さんとは全く違った人物でした。 常識や権威を否定し、酒と魚と女好きという禅僧にあるまじき生活は「一休」という名前からも導き出されます。彼の歌「有漏地より無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ風ふかば吹け」(煩悩の世界から悟りの世界へ行っても一休みするだけで、私の居場所は雨風が吹き荒れる混沌とした世界だ。)からは、庶民と共に生きる決意がうかがえます。とはいえ”生き仏”と慕われた高僧が80歳程で盲目の女性森女に恋をし、著作の中で現代のポルノ小説以上の愛欲の世界を綴った彼の狂気(もしくは「空」の思想)は我々の理解を超えています。…ってなことを、この寺の庭を見ながら考えていると結構面白かったりしました。


「 THE GAME 」
作曲者:小六禮次郎
演奏者:パーカッショングループ72