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織田信長 の科学
第1204回 2013年11月24日


 戦国時代、天下統一目前に散った織田信長。
 常識を覆す戦法で敵を打ち負かし続けた、まさしく戦国時代の革命児。そんな信長には、「本能寺の変」をはじめとする数々のミステリーが残されています。そこで本日の目がテンは歴史スペシャル!織田信長の真実を科学の力で解き明かします!

①火縄銃 三段撃ちの真相とは?

 長篠の戦い。1575年5月、愛知県長篠で、織田・徳川連合軍が、当時無敵といわれた武田軍を破った戦いとして有名です。巨匠・黒澤明監督の映画「影武者」は、まさにこの時代を描いた作品。クライマックスシーンでは、織田の鉄砲隊と武田の騎馬隊が激突する長篠の戦いが大迫力で描かれています。しかし、歴史の教科書にも載るこの戦いには、実は大きなミステリーが隠されていたんです。駒澤大学・久保田昌希教授によると、「実は信長がその時行ったと言われる三段撃ちにも大きな疑問がある」という。

 信長が考案したといわれる「三段撃ち」は無敵の武田騎馬軍を撃破した火縄銃の撃ち方です。これは縦一列に3人が並び、1人目が射撃をする間に残りの2人が準備をして、順番に前に出て連続して銃を撃つ戦術。果たしてこの「三段撃ち」。試してみると分かる疑問とは?
 そこで向かったのは、こちらの射撃場。実験は、火縄銃を撃てる資格を持つ方々に協力してもらいました。当時、火縄銃は標準的なもので長さ約120センチ、重さは約4キロ。火縄銃は縄に火をつけ、これを火薬に引火させて弾を発射する仕組みになっています。この銃で、確実に命中する距離は約50メートル。戦国時代も、敵をその距離まで引きつけてから撃ったと考えられています。実際の「三段撃ち」は縦一列に3人が並びますが、今回は安全のため、縦ではなく横に並んで連続射撃を行います。1人目が撃ち終わり、後ろに下がる。すると隣の人が前に出て射撃を行う。これを3人で繰り返します。一方、攻め込んで来る武田軍は10人。50メートル先から槍を持ち向かってきます。織田鉄砲隊の位置は「0」と示された場所という設定で、攻めてくる武田軍をすべて鉄砲で倒せるのでしょうか?今回の実験では、撃ったら確実に命中という設定で行います。

 それでは実験スタート!さっそく1人目、そして2人目も倒しますが、敵はどんどん迫ってきます。その後、3人目も撃破しましたが、ここで武田軍に攻めこまれてアウト!なんと、今回火縄銃の「三段撃ち」で倒せたのは3人だけでした。皆さん、準備をした状態で、三段撃ちを開始したはずなのに、射撃までずいぶん時間がかかっています。一体なぜなのでしょう?
 そこで、1人目が射撃を行ってから、2人目が準備をして射撃をするまでの時間を調べてみました。まず火縄をセットし、着火できるよう火薬が入っているふたを外し、狙いを定めて撃つ。計測の結果、三段撃ちの1回の射撃には、約9秒もかかっていたんです。これでは次の射撃までの間隔が長くて、攻め込まれてしまいます。駒澤大学・久保田昌希教授は、「押し寄せてくる武田軍を打ち破るにはこの戦法は難しいため、三段撃ちはなかったのでは」と語っています。

所さんのポイント
ポイント1
三段撃ちでは防げなかった!信長本当の勝因は?
【勝因その①】堀と柵で武田軍の侵入を足止めさせた。
【勝因その②】鉄砲隊を10人程度の小隊にさせ機動的に動けるようにした。


②3000人の足音に信長は気づくのか?

 1582年6月2日早朝。明智光秀が謀反。約3000人が攻めかかり京都で信長が非業の死を遂げた「本能寺の変」。しかし、信長の死体が見つからなかったため様々な憶測を呼び、未だに日本史上最大のミステリーとして語り継がれています。映画やドラマでよく描かれる「本能寺の変」では、明智軍に取り囲まれた信長は、突入される際になって目を覚まし、事態に気づきます。ところが駒澤大学・久保田昌希教授によると、「信長はかなり早くから起きていたと考えられる」という!

 3000人もの兵が押し寄せ、まして起きていたのならばその足音にいち早く気付き、逃げることができたのではないか!?そこで、本能寺の変大実験!復元図を見ると、当時の本能寺は壁に囲まれ、四方およそ120メートルと推定。信長がいたのは主殿と呼ばれる建物。外壁からは直線距離で約60メートル離れています。今回、実験場所に選んだのは、栃木県にある日本最古の学校「史跡足利学校」。その広さは本能寺とほぼ同じ。
 さらに四方も壁に囲まれ、中心には主殿のような建物まである、まさにかっこうの場所。ここに、オーディションで選んだ現代の織田信長を「イメージ撮影を行う」というニセの情報で呼び、何か気になったら部屋の外にいるスタッフに声を掛けて下さいと伝えます。一方、迫り来る3000人の足音は、東京工芸大学工学部メディア画像学科・森山准教授に協力をお願いしました。

 すると先生、なぜか「おせんべい」を砕きはじめました。先生曰く「足音をそのまま収録しても足音には聞こえない」という。さらに、動いた時に出る甲冑の音も録音。この2つを合わせれば、兵が進軍する音になります。明智軍は四方から本能寺に攻め込んだと考えられており、3000の兵が4ヵ所に均等に分かれたと仮定すると、1ヵ所に750人の兵がいる計算。そこで、先ほど収録した音を音響ソフトを使い750人が進軍する音に増やします。今回実験に使う750人の音は、なんとパチンコ店の店内と同じレベルの騒音!徐々に近づく足音のように、音量を調整し4方向に設置したスピーカーで流します。正門前には、甲冑を身にまとった10人の足軽も配置。ここからは、本能寺の変・本当に気づかなかったのか大実験!

 4ヵ所に設置したスピーカーから合計3000人分の音を流しますが、信長は気づきません。そこで、総勢3000人の音が信長に迫ります。門の向こうの主殿にいる信長まであと90メートル、そして80メートル地点も通過。しかし、進軍する音に信長はまったく気づく気配がありません。そして、信長まであと60メートル地点、正門前に到着。突入準備にかかった時、信長はようやく異変に気がつきました。結果、実験では、境内に突入した段階で信長は音に気がついたんです。では、パチンコ店内同様の騒音が近づいたのに、なぜ気がつかなかったのでしょうか?音響の専門家によると「甲冑のカチャカチャした高い音が多くを占めていたため、信長の耳まで届かなかった可能性が高い」という。

 高い音は短い波長で音を伝え、低い音は長い波長で音を伝えます。甲冑が出すような高い音は、波の振動数が多いため、その分空気抵抗を多く受け、早く減衰してしまいます。一方、低い音は波の振動数が少ないため、あまり空気抵抗を受けず、遠くまで届くのです。本能寺に近づく兵の甲冑の音は、高い周波数が多く含まれるため、信長の耳には聞こえなかったようなんです。

所さんのポイント
ポイント2
なぜ信長は気が付かなかった?
当時の織田信長は絶頂期であり、自分の領地・京都ということで"油断していた"事もひとつの要因。





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