放送内容

第1430回
2018.06.17
村上海賊の生活 の科学 物・その他

 様々な時代の生活を実際に体験し、そこに隠された驚きの科学を発見する「目がテン!歴史研究会」。第7弾となる今回、歴史プレゼンター都丸紗也華さんがチャレンジするのは…「村上海賊」。かの織田信長の正規軍を撃破して勝利、その海戦の模様を描いた小説『村上海賊の娘』(和田竜著、新潮社刊)は本屋大賞を受賞、いちやく脚光を浴び、漫画化もされるなど、最近「村上海賊」が大きな注目を集めています。「日本最大の海賊」と言われ、戦国時代を変えた村上海賊とは何者だったのか?その実態に迫るために、村上海賊の生活を実際に体験します!
 今回の目がテンは歴史研究会第7弾!「村上海賊の生活」を科学します!

潮の流れを味方にした村上海賊!

 都丸さんがやってきたのは、愛媛県今治市にある村上海賊を研究する博物館。待っていたのは…村上海賊に詳しい、学芸員の田中謙さん。田中さんは、日本にいた海賊は「海の安全を守るために必要な人だった」と言います。実は村上海賊は、海を領地として治め、通る船の安全を守っていた“海の戦国武将”だったのです。
 今回、都丸さんには村上海賊の生活にチャレンジしてもらいます。まずは恒例の着替え!実際は、普段どういう格好をしていたか分かっていないため、小説「村上海賊の娘」の漫画化イラストを参考にした服装に変身です!
 村上海賊が本拠地としていたのは、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、能島と鯛崎島。

 外周1kmにも満たない、2つの島を丸ごとお城にしていたと考えられています。島の地形を利用して、城郭も作られていたようです。日本最大と言われる村上海賊が、なぜこんなに小さな島に住んでいたのでしょうか?その秘密を探るべく、地元の漁師さんに船を出して頂き、能島に行ってみることに。すると、驚きの現象が!島の周りを海水が、まるで川のようにものすごい勢いで流れているのです。

 実は、これが村上海賊が小さい島を本拠地にしている理由。時間帯によっては、この潮流に守られるため、攻めにくくて守りやすい場所となるのです。しかし、なぜ能島周辺では、こんなにも潮の流れが速いのでしょうか?その理由を瀬戸内海の海流に詳しい、愛媛大学の武岡英隆教授に尋ねると、「大量の水が狭いところを通ると潮の流れが速くなるから」といいます。能島のある芸予諸島にはたくさんの島があり、その島の間には狭い海峡や水道が数多くあります。そこに大量の水が流れようとするので、潮が速い流れになるのです。
 能島周辺の潮の流れは、最大で時速18km。さらに、速い潮の流れが海底の岩礁にぶつかり、海面へと湧き上がるように上昇してくる「湧き潮」まで発生します。

 つまり、敵の船が不用意に島に近づくと沈没してしまうような、危険な場所だったのです。
 村上海賊が能島に船で出入りしてできていたのは、彼らが潮の流れが止まる時間を完全に把握していたから。そのために使っていたのが、「操潮時圖(そうちょうじず)」という潮の満ち引きの時間を予測する道具。

 内側の円で日付を合わせれば、潮が流れる時間だけでなく、止まる時間も予測できるのです。能島には潮の流れが止まるわずかな時間があり、そこを狙って村上海賊は安全に出入りしていたといいます。潮の流れを把握していた村上海賊は、この小さな島を天然の要塞として築き上げていたのです。

村上海賊の強さの理由とは!?

 「海の戦国武将」でもあった村上海賊は、海上の船での戦いでも、とてつもない強さを誇っていました。その強さの秘密は、「小早船(こばやぶね)」という手漕ぎの小型船。

 当時、他の戦国武将たちは、「安宅船(あたけぶね)」や「関船(せきぶね)」といった大型の軍艦を主力に使い、小早船は偵察などの補助的な役割にしか使っていませんでした。
 では、なぜ村上海賊がこの小さな小早船を主力としていたのか。その理由を知るために、都丸さんが一人で船の操縦にチャレンジ!スタートの桟橋を一周して再び桟橋に戻って来ることができれば成功です。

 船を動かす「櫓(ろ)」の使い方を教わり、いざスタート!無謀な挑戦かと思われましたが、意外にも順調に船を前に進めていく都丸さん。しかし、間もなく折り返し地点という所で、船が風で岸の方へと流されてしまいます!このままだと岸にぶつかってしまう!と思ったその時。都丸さんが櫓を強く押し始め、船は旋回に成功!間一髪、衝突を避けることができました。船は無事に折り返し、無事にゴールまで帰ってくることに成功!誰も予想しなかった、歴史研究会始まって以来の完璧なチャレンジ成功です!

 でもなぜ初めての都丸さんでもこんなに上手く船を操れたのでしょうか?
 その秘密は、一本で推進力を出しながら、同時に方向転換まで出来る、小早船の「櫓」にありました。櫓は、船の後方で長い翼のような先端を半円を描くように左右に動かすことで、推進力を生み出します。この時、櫓は船上の視点で支えられていてテコの原理が働き、力のない女性でも操作することが出来たのです。さらに、小早船は櫓を増やすことでスピードを上げることができます。試しに5人の男性で漕いでみると、どんどんスピードが上がっていきます。この小早船の操作性の高さとスピードが、瀬戸内海で戦う村上海賊にとって大事なポイントだったのです。
 田中さんは、村上海賊が小早船のメリットを生かし、海の上でも戦術に合わせて陣形を変えて、戦いを有利に進めたと解説。

 さらに村上海賊には、信長軍を撃破した強力な武器がありました。それが、「ほうろく火矢(ひや)」という素焼きでできた手榴弾。村上海賊は、このほうろく火矢を敵の船に投げ込み、船を爆破・破壊していたといいます。
 そこで目がテンでは、ほうろく火矢の作り方が書かれている「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」という古文書を元に、ほうろく火矢を再現して威力を検証することに!ほうろく火矢の外側、素焼きの部分を制作して頂くセラミックアーティスト・中野拓さん、歴史上の武器に詳しい三重大学・荒木利芳名誉教授、花火職人・伊藤照雄さんの3人のエキスパートに依頼して、安全面も含めて検討。古文書に書かれているものをそのまま再現すると、殺傷能力を高めるための鉄釘や火薬の量が非常に危険なので、今回の再現では火薬量を10分の1にし、鉄釘の代わりに綿の種を詰めて検証を行うことに。

 完成したほうろく火矢を木造船に見立てた木箱の中で爆発させて、その威力を見ていきます。スイッチを入れると…爆発と同時に木箱が一瞬でバラバラに!柔かい綿の種でも、素焼きが砕けて飛び散った跡がくっきり残っています。実際には、この10倍の威力だったと考えると、破壊力抜群の武器だったのです。

村上海賊の暮らしを体験!

 続いては、都丸さんが村上海賊の生活を体験することに。まずは食。能島から出土したものからは、現代の刺し網につける重りと似たものが見つかっていて、現代と同じ刺し網漁をいていたと考えられます。村上海賊は、普段は漁師としても働いていたため、豪華な海の幸を日常的に食べていたと考えられます。これらを使った料理とは…地元に伝わる村上海賊ゆかりの郷土料理、「鯛のほうろく焼き」。

 ほうろく火矢でも使われた素焼きの鍋の中に、塩をまぶした鯛を入れて熱するだけ。鯛自身の水分だけで蒸し焼きにするので、旨味が凝縮されるそうです。さらに、瀬戸内海の海の幸をふんだんに入れて味噌で味をつけた「水軍鍋」。スーパーには売ってないようなサイズのワカメに都丸さんもビックリ!
 そして最後は、戦国時代の足軽生活でも使った野宿用のテント「幕舎」で眠り方チャレンジ!前回は寒さでギブアップした都丸さんですが、手際よく幕舎を建てていきます。雨も止み、あとは眠るだけ!こちらも歴史研究会始まって以来の成功に期待が高まる中…今回は虫の音が気になってギブアップ!都丸さん、お疲れ様でした!