放送内容

第1477回
2019.05.26
明治時代の生活 の科学 物・その他

 様々な時代の生活を実際に体験し、そこに隠された驚きの科学を発見する「目がテン!歴史研究会」。第10弾となる今回は、歴史プレゼンター都丸紗也華さんがチャレンジするのは…明治時代の生活!江戸時代が終わり、日本に西洋の文化が、一気に入ってきた激動の時代。西洋の文化が庶民の暮らしに浸透してきた明治中期の生活に挑戦!
 今回の目がテンは、明治の意外に知らない生活を科学します!

洋文化を少しずつ取り入れた明治時代

 今回、色々教えてくれるのは、明治時代の暮らしに詳しい、大阪学院大学の森田先生。幕末、黒船の来航で、200年余り続けてきた鎖国政策が終わり、今から151年前、明治時代が始まりました。積極的に西洋文化を取り入れ、人々の生活は、大きく様変わりすることに。明治初期には日本初の鉄道が開業。
 官公庁などは次々と洋館となり、街にはガス灯が灯り、夜も明るくなりました。都丸さんが訪れたのは、明治時代の建物を多く移築、展示している「明治村」。人々の暮らしに、どんな変化が起こったのでしょうか。やってきたのは、明治の中期に建てられ、文豪・森鴎外、夏目漱石が相次いで住んだ、比較的裕福な家。見た感じ、洋風はゼロの日本家屋ですが、江戸から明治になり、どんなところが変化したのでしょうか。実は、変化したのは「中廊下」。

 中廊下は和風の建築にはなかったのです。廊下を作ることによって、部屋が独立し始めたのです。1人部屋が無かった時代に西洋の文化が入り、家族間でもそれぞれ自分の部屋があるなど、プライバシーが大切にされるようになりました。その西洋的な建築の始まりが中廊下なのです。書斎など、目的別の部屋も作られるようになり、家の間取りも西洋風に変化しました。
 ここで恒例の着替えタイム!都丸さんが着替えたのは、当時、ファッションの最先端をいくお嬢様たちが着た、女学生の服装。

 短めに着付けた着物に、海老茶色の袴。現代の女子大生が卒業式で着る袴姿とほぼ同じです。袴は、江戸時代では男性が履くのが中心でしたが、明治に入って女性も便利ということで履き始めたのです。
 さらに、それまで日本髪だった女性の髪型は、後ろで一つに結ぶ束髪に。束髪は、自分で簡単に結えることから、日本髪より髪を洗いやすく衛生的だと女性たちの間で一気に普及しました。

 そして、編上げの西洋ブーツ。基本的に和服なのですが、そこにちょっとだけ西洋の要素を取り込むのがオシャレだったようです。そして、今回は女学生のお父さんとお母さんも登場。男性は、明治4年の散髪脱刀令で、男性の多くはちょんまげを切り落としザンギリ頭に。帽子や西洋風の口ひげが流行しました。そして、服装は羽織に西洋のコート、ステッキという和洋折衷。女性は、江戸時代から続く小袖姿にショールを羽織り、手には洋傘やハンドバッグという、やはり和洋折衷の服装です。ここからは、都丸さんが明治中期の女学生になり切って、1日を体験します!

 朝、6時。都丸さん、気持ちよさそうに寝ているかと思いきや、高い枕に「首が痛い」と漏らします。江戸時代より髪を洗う回数は増えたものの、毎日は洗っていなかった明治時代。髪型を崩さないため、江戸と同じく、高さのある箱枕を使っていました。
 さらに、部屋には明治時代になって登場したものが。「ボーンボーン」と鳴る柱時計。実は、明治時代になって初めて一般の家庭に普及したもので、江戸時代には無かった物なんです。柱時計の動力はゼンマイ。定期的に巻いていました。江戸時代は、鐘で時を伝えていましたが、明治6年に太陽暦が導入され、24時間制に変わったため、時計が必要になったんです。

 起きてまず行うことは、水くみ。この時代は、江戸時代と同じく井戸から水をくんでいました。水道が家の中まで引かれるのは昭和になってから。水くみは、当時、子供もやっていた仕事です。女学生の都丸さんも、挑戦!すごく重たそうにしてますが・・・桶の水は2センチほどしか入っていません。本来はもっと水が入っているそうです。
 朝の身支度を済ませて、二人は学校と職場へ。父親は西洋から入ってきた、自転車で出勤。家族写真で自転車を一緒に写しているものも多く、当時、自転車が自慢の高級品だったことがわかります。明治時代は、今の生活につながる、さまざまな西洋文化が入ってきた時代だったんです。

 ちなみに、明治も後期になると、運動会などの行事が行われるようになりました。競技は今と違い、髪の毛を結ぶ速さを競う髪結競争や動物採取競争などがあったそうです。

まさかの具材!?明治時代のカレーを再現!

 この時代、学校から帰ると家の手伝いをしていた女学生。当時の夕食作りを体験することに。明治時代になると、庶民も西洋料理に興味を持つようになり、西洋料理の指南書が数多く出版されるようになりました。今回は、明治5年の西洋料理指南書に書いてあるカレーを作っていきます!書物に書かれたカレーのレシピ通りに食材を用意。都丸さん、難しそうな漢字だらけの指南書を理解して、当時のカレーを作れるのでしょうか?分からない場合は、ギブアップボタンを押せば先生が助けにきてくれます。
 それでは調理スタート!指南書に書かれているネギに疑問を持ちますが…玉ねぎはまだ庶民の手に入らず、代わりにネギを入れていたんです。生姜とにんにくを細かく切り、かまどにかけた鍋で、食材をバターで炒めて水を加えます。そこに、鶏肉・鯛のすり身・カキとエビも加え煮込みます。なかなか豪勢なカレーのようですが・・・その時!「赤蛙」の文字が。カエルの肉をなかなか触れない都丸さん。どうしても鍋に入れることができす、ここでギブアップ!

 現代のカレーには使わない「蛙」がなぜレシピにあったのでしょうか?実は、イギリスからカレーが伝わる際に、連れてきた香港の人が、日本で食べられていない牛肉や豚肉の代わりになる食材を探した結果、香港で食べられていたカエルの肉を提案しました。日本でも、赤蛙は里山で食べられていたこともあったので、そのまま採用されたようです。
 都丸さん、触りたくないので、蛙をまな板を使って鍋に入れ、カレー粉を投入。1時間ほど煮込み、塩で味付けをして小麦粉でとろみを付けたら・・・明治時代のカレーが完成!

 当時は、スプーンは一般的ではなく、箸で食べていたそうです。実際に食べてみると・・・「おいしい!」と都丸さん。カエル肉の味はというと・・・「鶏肉みたいでめっちゃおいしい!」とのこと。この時代、西洋料理指南書などのレシピ本により、カレーの他にも、コロッケやシチューなど、西洋料理が庶民の食卓に登場し始めたんです。

全然楽しくない!?明治時代の海水浴

 続いては明治時代に始まったレジャーに挑戦するために、神奈川県大磯にある照ヶ崎海岸へやってきました。大磯は、日本の海水浴場として初めて作られた場所なんです。実は、江戸時代には今でいう海水浴のようなものは全く無く、明治に入ってから海水浴というものが始まったのです。当時の人たちは、海水浴の時にどのような服装をしていたのでしょうか。明治後期、女性たちの間で流行ったのは、西洋の影響を受けた縞模様の水着。グラビアアイドルとして、流行最先端の水着をセクシーに着こなす都丸さん。当時の「シマウマ水着」を再現したものに着替えてみました。

 袖が肘まであり、太ももも隠され、肌の露出はかなり控えめ。お腹のあたりには帯があり、ここでも、西洋と和の文化が混りあっていたようです。
 この水着で挑戦するのは、明治中期の海水浴!当時の海水浴は、今とはまったく違い、浅瀬に立てられた鉄の棒につかまる、というもの。海水浴が始まった頃は、楽しむものではなく、治療や健康増進の為のものだったのです。当時、ヨーロッパでは健康の増進や回復に効果があると海水浴が広まっていて、それが日本にも伝わりました。そして、明治18年、ここ大磯で、日本初の海水浴場が開かれたといわれています。当時の絵には、人々が棒につかまっている姿が残されていて、これは「波の刺激を身体に受け、海辺の空気を吸う」ことが、健康にいいとされていたんです。

 続いて都丸さんが水着のまま向かったのは、明治時代の撮影技術で撮られた「湿板写真」を体験できる場所。あの坂本龍馬も撮影した、幕末から明治にかけて広まった写真です。都丸さんも当時の水着で湿板写真に挑戦!明治時代に実際に使われていた140年前のレンズを使って撮影します。今回、再現するのは、当時の水着の女性写真。写真と同じ格好でポーズしていると、「首押さえ」という道具で首を固定されました。明治時代の技術では、今のように一瞬で撮影することはできなかったので、20秒動かないでいないと映りませんでした。そのため、首や腕を固定して撮影する必要があったのです。

 いよいよ撮影。湿板写真はガラス板に薬品を塗ったものがフィルム代わりです。ガラスに光が当たると化学反応を起こし、ガラスに像が映し出されるんです。そして、20秒間、明治時代の写真と同じポーズで静止してなんとか撮影終了。スタジオで完成したものを見ると、見事な写真に仕上がっていました!