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<学校紹介> |
校 長 |
小原 稔 |
創 立 |
1931年(昭和6年) |
生徒数 |
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住 所 |
板橋区加賀2-11-1 |
特 色 |
1931年(昭和6年)帝京商業として創立される。
1943年(昭和18年)帝京中学として開校。
その後昭和23年4月学制改革により校名を帝京中学校、帝京高等学校に変更。
翌年日本大学の直結校となり、付属高校と同等の処遇を受ける。
昭和48年男女共学となり制服もブレザーに。
昭和27年高校相撲で優勝があるがサッカー部が全国優勝するまでは運動部のクラブ活動ではそれほど目立った実績はない。
昭和50年の正月、大阪で行われていた53回全国高校サッカー選手権初優勝で帝京の名前が全国に知られるようになった。
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<サッカー部紹介> |
創 立 |
1958年(昭和33年) |
沿 革 |
選手権 初出場は39回大会(昭和36年)ベスト8で岩手の遠野に敗れた。
53回大会で清水東を破り初の全国制覇。
戦後最多6度の全国大会優勝を成し遂げた。
東京のサッカーを、そして全国の高校サッカーを引っぱってきたのが、今年60歳を迎えた古沼貞雄監督。
古沼氏は日大在学中、陸上部で長距離の選手として活躍。
目指すは箱根駅伝だった。昭和39年帝京に赴任し、当時サッカー部の部長だった小原稔現校長から監督を命ぜられた。
浦和南の松本暁司 習志野高 西堂就両先生は、古沼氏にとって恩師。
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<ユニフォーム> |
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正 |
副 |
GK正 |
GK副 |
上 |
黄 |
赤 |
緑 |
青 |
下 |
青 |
白 |
緑 |
青 |
ソックス |
白 |
赤 |
緑 |
青 |
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<チーム概要・特徴> |
攻撃は、矢野、根津のツートップを軸に田中のドリブルが効果的に機能するダブルボランチを採用し、生田が全体的な攻守のバランスをとるように指示する。守りが不安。帝京には伝統的にキーパーが弱いという点がある。
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<主力選手紹介> |
9.矢野
チームのキャプテン Jリーグの試合に出場。
日本協会の強化指定選手。
左・右どちらもシュートを打てる、ヘディングも強い。
11.根津
得点感覚あり。毎試合ゴールを決める。
8.生田
チーム攻守の柱 冷静さがある。
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