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- 1902年、広島県立広島高等女学校として設立。
- 1941年、広島県立広島第一高等女学校と改称。
- 1949年、広島県立広島皆実高等学校と改称。共学になる。
- 普通科、衛生看護科、体育科の3科がある。体育科は1992年(平成4年)に設立。
- バスケット、剣道、陸上、卓球などが、全国大会に常連校として出場。
- 歌手の吉田拓郎、奥田民生が卒業生。
- 校長:金井亀喜
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- 1949年創部。過去、インターハイ全国大会には6度出場。
- 1994年、石川県でのインターハイ3位(メンバーにサンフレッチェ下田ら)。
- 1999年岩手県でのインターハイでは、八千代と両校優勝(メンバーに現在3年生の、持延、柴村、田村、岡田、堀、木下)。
- OBに下田崇(サンフレッチェ広島)、梅田直哉(明治大から来春サンフレッチェ入団内定)、金本圭太、山根巌(J2大分)ら。
- 監督 加藤俊夫(廿日市高〜順天堂大〜マツダ)
現役時代はDF,MFとしてプレー。引退後、教員として安芸府中高校、皆実高校で指導。皆実高校ではコーチを4年勤めた後、監督就任3年目。就任1年目に選手権全国大会初出場、2回戦敗退。
- 部長 : 山成宣彦(やまなりのりひこ)
- コーチ: 鯉迫勝也(こいさこかつや)
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| 1次トーナメント |
| 皆実 | 8−0 | 瀬戸内 |
| 7−0 | 祗園北 |
| 3−0 | 西条農業 |
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| 2次リーグ |
| 皆実 | 9−0 | 呉昭和 |
| 5−0 | 安佐北 |
| 3−0 | 沼田 |
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| 3次ト−ナメント |
| 準々決勝 | 7−0 | 県立広島工業 |
| 準決勝 | 3−0 | 観音 |
| 決勝 | 2−2 4PK2 | 山陽 |
9試合、47得点、2失点
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- 2月、新人戦で優勝するも、5月の中国大会で玉野光南(岡山)相手に緒戦敗退。
- 6月、高校総体ではエース堀を右足甲の骨折で欠きながらも緒戦、2回戦と順当に勝ち進む。
しかし、堀の復帰した準々決勝、神辺旭高校に1−0でまさかの敗戦。
- 夏休み、例年数多く行う練習試合をほとんど組まず、コミュニケーションの徹底と、ディフェンスラインの練習に費やす。
- 9月2日から始まった選手権予選では2年ぶりにノーシードからの挑戦。3年連続で決勝対決となった山陽高校をPK戦の末破り、優勝。
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3-5-2システム。フラットスリーを(3)田村がラインコントロールする。
「DFラインの上げ下げのタイミングがまだ完璧でない。」(加藤監督)
キーワードは「リズム」。細かいパス回しと、サイド攻撃でリズムを作る。
2トップ以外にも、(9)岡田、(20)手柳の2列目からの得点多い。
セットプレーで(4)柴村、(3)田村上がる。
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| (10)堀 |
左足からのシュートは強烈。2列目に下がって、中盤でのプレーもできる。 |
| (6)持延 |
運動量抱負。クロスの精度抜群。 |
| (4)柴村 |
セットプレーの要。ここぞの場面でオーバーラップ。FWもできる。 |
| (1)鈴木 |
9試合で2失点。前に飛び出すのが持ち味。 |
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| 正 |
副 |
GK正 |
GK副 |
| シャツ |
緑×黒 |
白 |
黄 |
赤 |
| パンツ |
緑 |
白 |
黒 |
赤 |
| ソックス |
緑 |
白 |
黄 |
赤 |
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