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校長 前田 勉 創立 1979(昭和54)年
全校生徒 904人(男子529人 女子375人)
1980(昭和55)年4月開校の普通科高校。体育コースのV類、タイへの海外研修を行うT類の歴史文化コースがある。剣道部、テニス部が全国レベル。府内でトップクラスの成績を誇るクラブが多い。
久御山(くみやま)町…京都市の南に隣接する久世郡久御山町宇治川と木津川に挟まれ、巨椋(おぐら)池干拓地が横たわる平坦な土地で、もともとは農業の町だった。
しかし1976(昭和51)年、国道1号開通後、町の様相は急速に変化して工業の町へ。
東部には宅地開発もすすみ、バランスよく発展している町。
少年サッカーから中学、高校とサッカーのさかんな町でもある。
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- 創部 55年4月
- 部員 75人(1年23人 2年19人 3年25人)マネージャー(1年4人 2年2人 3年2人)
- 開校と同時に創部。’98年までの京都大会での主な成績は、96年の新人戦優勝だけで、選手権京都予選も2度のベスト8が最高だった。しかし、昨年から今年にかけて2年連続で京都3冠達成。昨年の全国での経験を生かし、今年は、各校にマークされ、苦しみながらも3冠を達成する底力を見せた。個性派集団で、選手の技術と発想を生かした南米サッカー、高校生ながら随所に魅せるプレーを展開する。
- 松本 悟(まつもと さとる)監督(41)
就任5年目 保健体育
選手歴:京都商(現京都学園)〜国士舘大〜紫光クラブ
(高校時代、S51年度全国大会に出場 ●1-2古河一 1ゴール)
- 指導歴:高校非常勤講師〜久御山中(12)〜久御山高校
(久御山中時代、平成6年に全国大会3位に導く)
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※今年から予選トーナメント(インターハイ京都予選上位4チームはスーパーシードで3回戦から参加)のあと、16チームが4組にわかれ予選リーグを行い、各組2チーム、計8チームが決勝トーナメントへ進出。
| 予選トーナメント |
| 3回戦 |
2−0 |
平安 |
| 岡田 北村 |
| 予選リーグ |
| 1回戦 |
1−1 (PK5-3) |
立命館宇治 |
| 岡田 |
| 2回戦 |
2−0 |
東稜 |
| 関 北村 |
| 3回戦 |
1−0 |
山城 |
| 関 |
| 決勝トーナメント |
| 準々決勝 |
5−1 (PK5-3) |
洛南 |
| 北村 岡田2 関 広瀬 |
| 準決勝 |
3−0 |
城陽 |
| 澤辺 岡田2 |
| 3回戦 |
5−1 |
大谷 |
| 岡田2 北出 澤辺 斉藤 |
総得失点 19得点3失点 岡田(8) 関・北村(3)ほか
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新人戦京都大会 優勝
予選リーグ (1)○0-0同志社(2)○6-0東宇治(3)○2-0東山(Eブロック1位)
| 決勝トーナメント |
| 1回戦 | 5−0 | 菟道 |
| 2回戦 | 4−0 | 峰山 |
| 準々決勝 | 2−1 | 大谷 |
| 準決勝 | 5−3 | 向陽 |
| 決勝 | 5−0 | 立命館宇治 |
| インターハイ 京都予選 優勝 |
| 3回戦 | 8−0 | 東山 |
| 4回戦 | 5−0 | 洛星 |
| 準々決勝 | 2−0 | 北稜 |
| 準決勝 | 7−0 | 洛東 |
| 決勝 | 2−0 | 洛北 |
| 全国大会 2回戦敗退 |
| 1回戦 | 2−2 (PK6−5) | 大社 |
| 2回戦 | 0−1 | 富山一 |
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昨年全国ベスト16 2年連続京都大会3冠達成
つなぐサッカーと個人技、イマジネーションあふれるサッカーを展開。
中央からの突破が多く目立つ攻撃サッカー。
ゆっくりとしたボール回しを行い、ゴール前では、スピードを変え、早く、自由に。とにかく流動的で自由な発想で攻めてくるラテンサッカー。
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(14)関は、どこからでもどんな態勢からでも面白いパス、シュートを打つ。
関と小学校時代から同じチームでプレーしてきた (8)松宮も左右にポジションを変え、決定的パスを狙う。
(11)岡田はねばり強いドリブル (7)澤辺はスピードあるプレー
第78回全国大会出場
(12)柳田 (6)斉藤 (14)関 (11)岡田(以上4名は とやま国体出場)
京都大会主な得点 7得点-岡田 3得点-関・北村
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| 正 |
副 |
GK正 |
GK副 |
| シャツ |
白 |
エンジ |
黄 |
グレー |
| パンツ |
白 |
エンジ |
黄 |
グレー |
| ソックス |
白 |
エンジ |
黄 |
グレー |
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