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- 1949年(昭和24年)創立の普通科高校
- 1996年(平成8年)から単位制高校に移行 自由闊達な校風
- 全校生徒1190人(男子546人・女子644人)
- 卒業生のほとんどが大学に進学する県下有数の進学校
普通科の他に芸術コース(音楽、美術、書道)がある。
- 校訓は『雄心・創造・挑戦』
- クラブ活動では、バスケットボールの男女が全国レベル
文科系のクラブ活動もさかんで、
全日本高校書道コンクールでは7年連続 最優秀校に。
試合会場に掲げられる横断幕も墨蹟鮮やかに
『粘れ!気張れ!頑張れ!佐賀県立佐賀北高等学校サッカー部』
書道科主任 野中 白雲(博文)先生の筆になる。
去年、28年ぶりの全国大会進出を見守った縁起のいい横断幕だ。
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昭和44年の創部 部員数48人(3年 7、2年 19、1年22)
佐賀は、長く佐賀商業、佐賀学園という2強時代が続いた。
1972年(昭和46年)から一昨年までの27年間、両校のどちらかが
優勝してきた。佐賀商業17回、佐賀学園10回の優勝
しかし、去年ついに佐賀北がその両雄体勢を打ち破って優勝
実に28年ぶり2回目の佐賀大会優勝だった。
実は商業、学園より早く全国に進んだのは、佐賀北。
1971年(昭和46年)佐賀大会を制すと、福岡、長崎2校の4チーム
で北九州大会を争い、初の代表権獲得。全国大会では1回戦
清水 秀彦さんを擁した浦和市立(埼玉)に2-0で勝って話題に。
野口 正浩監督(55)は、佐賀北を指導して13年目
基本を大切にした一環指導が結実し、96年、98年の準優勝から
ついに佐賀大会を連覇する実力校に成長した。
堤 恒範コーチ(31) が兄貴分としてチームを実質指導している。
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佐賀大会は県下38校が参加して9月23日に開幕、国体休止期間を
経て、11月11日決勝が行われた。
佐賀北は、今大会第1シード。
結晶まで危なげなく勝ち進み、最多優勝17回を誇る、強豪・佐賀商業にも大勝した。
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| 選手権予選結果 |
| 2回戦 |
9−0 (4-0 5-0) |
唐津南 |
| 山田5、平井2、中野2 |
| 3回戦 |
7−0 (3-0 4-0) |
佐賀東 |
| 平井5、山田1、オウンゴール |
| 準々決勝 |
5−0 (1-0 4-0) |
唐津商 |
| 山田2、平井、古川、中野 |
| 準決勝 |
7−1 (3-0 4-1) |
鹿島 |
| 中野、友貞、本村、真島、中尾、山田、オウンゴール |
| 決勝 |
5−1 (2-0 3-1) |
佐賀商 |
| 平井3、山田、中尾 |
佐賀大会 総得点 33 失点 2
得点:
平井11得点、山田10得点、中野4得点、中尾2得点、古川、友貞、真島、本村〜山田が全試合得点
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28年ぶり出場の選手権後、春の新人戦こそ佐賀商業に
PK戦の末破れたが、その後は選手権経験者を中心に
安定した戦い振りを見せ、
国体選抜を兼ねた春季ユース大会(2-0 佐賀工業)、
インターハイ県予選(7-0武雄)と節目の大会を制して2冠。
インターハイ(1回戦敗退 1−2青森山田)
昨年の選手権を経験した選手が多く残り、地力を増した。
例年、進学に備えてインターハイ後3年生が引退するが、
今年は2トップの山田、平井ら3年生、7人が残った。
2年生のキーパー高尾、DFリーダー中尾、ボランチ中野、
トップ下の本村と、センターラインは全員去年の選手権を経験して
おり、スペースを得た時の攻撃には、速さ、精度が高まった。
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システムは、オーソドックスな4:4:2、戦いぶりもごく平均的。
4バックのライン・ディフェンス〜中盤はダイヤモンド、
2トップは突破力、得点能力共に高い。古賀、真島の突破から
チャンスを作る。
中盤のゲームメイクはボランチ中野。サイドチェンジ配球が良い。
ディフェンス・リーダーは主将の中尾。得点が欲しい時は、
センターFWに上がってくる。
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| FW 山田 英吾 |
国体選抜選手 独特のリズムを持った選手。
特にボールを受けるまでのポジショニングがよい。真島(国体選抜)とのコンビで左を崩す。 |
| FW 平井 靖彦 |
俊足FW ゴールに向かう直線的な動きに優れる。 |
| DF 中尾 弘樹 |
主将・国体選抜 ディフェンス・リーダー&ゴール前のセットプレーはヘディング |
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| 正 |
副 |
GK正 |
GK副 |
| シャツ |
緑 |
白 |
黄 |
赤 |
| パンツ |
緑 |
白 |
黄 |
赤 |
| ソックス |
緑 |
白 |
黄 |
赤 |
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