| 大会回数 | 年度 | 高校サッカー選手権の出来事 | 主な活躍した選手 | 社会の出来事 |
| 1 | T6 | 日本で最初の蹴球選手権大会、「日本フットボール大会」として開催 | | ロシア革命 |
| 参加校数8校、御影師範が優勝 | |
| 9 | T14 | 「全国中等学校蹴球大会」として予選制度の大会となる | | 普通選挙法成立 |
| | T15〜 | 太平洋戦争の為中止 | | |
| 25 | S21 | 関西のみ復活招待大会として開催 | | 天皇の人間宣言 |
| 26 | S22 | 再開されてた戦後初の全国大会が西宮で開催 | <26回大会> 長沼健(広島高師附中) | 日本国憲法施行 |
| 広島高等師範附属が優勝 |
| 27 | S23 | 学制改革により大会名が「全国高等学校蹴球選手権大会」となる | <30回大会> 浅見俊雄(浦和) | 帝銀事件 |
| 49 | S45 | 日本テレビ系列が全国大会(8試合)中継開始 初めて大規模な放送体制をしく | <40回大会> 森孝慈(広島修道) 釜本邦茂(山城) | 大阪で万国博覧会開催 |
| 全国大会入場者8000人 |
| 50 | S46 | 地区大会から勝ち抜きトーナメントに切り替える | <48回大会> 永井良和(浦和南) 奥寺康彦(相模工大付) | ドルショック |
| 系列の枠を超え1県1局を理想に民放38社が地区大会から放送開始 |
| 大会前に民放スタッフ(アナウンサー・ディレクター)を集めた研修会(強化合宿)を開催 |
| <放送のレベルアップと大会の振興のための討議を目的として行われる> |
| 優勝校の習志野高校が大会後、朝鮮・中国を訪問し友好試合を行う |
| 51 | S47 | 会場が大阪の長居競技場とうつぼサッカー場に移る | <51回大会> 中村(藤枝東) | 沖縄返還 |
| 決勝戦(浦和市立VS藤枝東)は激しい風雨の中行われ、浦和市立が優勝 |
| 主催・後援・協賛団体のバックアップのもと参加校のベストメンバーチームが東南アジアに遠征 |
| 52 | S48 | ブロック代表が4校増え28校に、全国大会日程も1日増え6日となる | <52回大会> 山野孝義(北陽) 山野孝明(北陽) | 石油危機 |
| PK戦が導入される |
| 53 | S49 | 全国大会28試合中3位決定戦を除く27試合中継 | | 三菱重工ビル爆破事件 |
| 帝京高校が念願の初優勝を飾り、東京に初めて優勝旗をもたらす |
| 54 | S50 | 全28試合中継、観客動員も10万人突破 | 田嶋幸三(浦和南) 金田喜稔(広島工) | ベトナム和平 |
| 決勝戦(浦和南VS静岡工)・閉会式は民放41社マイクロフルネット |
| 55 | S51 | 全国大会が大阪から首都圏に移行 | 川勝良一(京都商) 森下申一(静岡学園) | ロッキード事件 |
| 公開組合わせ抽選会ならびにキックオフパーティー開催 |
| ザ・バースよる「ふり向くな君は美しい」が新しい高校サッカーの歌となる |
| 各社で大会事前番組が放送される(NTV:高校サッカー決戦迫る!) |
| 8日間で23万人動員、決勝戦の国立競技場は5万5千人の大観衆で埋めつくされる |
| 56 | S52 | 地区大会の盛り上げのため全国を8ブロックに分け、幹事社を中心にブロック会議を開催 | 水沼貴史(浦和南) 早稲田一男(帝京) 尾崎加寿雄夫(日大高) 加瀬仁(浦和南) | 日航機ハイジャック |
| <本社担当者、日本テレビ・電通各事務局より1名、地元サッカー協会、高体連の担当者が参加> |
| 大会前に新聞・雑誌記者を集め「記者予想会」を開催 |
| 選抜選手の海外遠征がヨーロッパに変更 |
| 57 | S53 | 国立競技場を中心に5会場で開催され、茨城県立古河第一が初の栄冠を獲得 | 田中真二(浦和南) 今泉守正(八千代) | 日中平和友好条約調印 |
| 来場者に先着でポスターのプレゼントを実施 |
| 58 | S54 | 決勝戦(帝京VS韮崎)は6万人の大観衆のもと行われ、帝京が優勝 | 川添孝一(帝京) 板場節(水戸商) | 三菱銀行猟銃人質事件 |
| (試合終了後約5千人の子供たちがグランドになだれ込むというハプニングあり) |
| 59 | S55 | 大会前に首都圏デパートで「高校サッカー展」を開催 | 大野克人(古河一) 沢入重雄(清水東) 小松晃(西目農) | 1億円取得事件 |
| 来場者にオリジナルポストカードのプレゼントを実施 |
| 前年の反省を活かし警備体制が強化される |
| 60 | S56 | 第60回大会を記念して全都道府県48代表校(東京のみ2代表)参加によって開催 | 柴崎薫(武南) 羽中田昌(韮崎) | 神戸ポートピア81開催 |
| 地区大会から大きな盛り上がりをみせ、全国大会観客動員は遂に30万人を突破 |
| 61 | S57 | 出場校がブロック別の32代表校制に戻る | 青島秀幸(清水東) 堀池巧(清水東) | ホテル・ニュージャパン火災 |
| ハーフタイムに各地元局制作の学校紹介VTRが流され話題になる |
| 62 | S58 | 地区大会決勝戦観客数が全国総計で20万人を越える | 前田治(帝京) 長谷川健太(清水東) 大榎克己(清水東) 武田修宏(清水東) | 大韓航空機墜落事件 |
| 全都道府県48代表校制が制度化 |
| 1回戦・2回戦共に6会場から16試合を放送 |
| イメージ・ガール採用 「ときめき少女‘83」が1000名を越える応募の中から選ばれる |
| 63 | S59 | 蹴飛ばしマークに加えて、新しいペットマーク(シュウタロウ)が誕生 | 中山雅史(藤枝東) 井原正巳(守山) | グリコ・森永事件 |
| 1回戦・2回戦共に8会場同時中継という民放史上最大規模の放送事業となる |
| 64 | S60 | 今大会から文部大臣杯が新設され、優勝校清水市商に贈られる | 黒崎久志(宇都宮学園) 北澤豪(修徳) | 日航ジャンボ機墜落 |
| 高校サッカーテレホン速報が新設 |
| 65 | S61 | キャッチフレーズの全国一般公募を実施 6286件の応募から「風になれ 光になれ」に決定 | アデミール・サントス(東海大一) 山口 素弘(前橋育英) | 三原山大噴火 |
| 大会は9年ぶりに雪に見舞われた |
| 66 | S62 | 地区大会動員が27万人を越える新記録 | 永井秀樹(国見) 澤登正朗(東海大一) 磯貝洋光(帝京) 下川健一(岐阜工) | エイズ問題深刻化 地価の異常高騰 |
| 前年活躍したアデミール・サントス君(東海大一)をポスターのデザインに採用 |
| 入場出来ない観客が出たため、グランド観戦・街頭テレビなどで対応 |
| 観客動員は37万人を越える新記録 |
| 67 | S63 | 昭和天皇ご逝去により決勝戦が2日間順延される | 三浦 文丈(清水市商) | 瀬戸大橋・青函トンネル開通 |
| 68 | S64 | ポスター2種類作成(マンガ版はサッカーマンガ「オフサイド」の作者堀内氏による書き下ろし) | 西田吉洋(南宇和) 服部浩紀(前橋商) 相馬直樹(清水東) | 消費税スタート ベルリンの壁崩壊 オウム問題深刻化 |
| 準決勝で前橋商業の服部浩紀選手が大会通算5000ゴール達成 |
| 南宇和優勝で優勝旗が初めて四国に渡る |
| 69 | H2 | 全都道府県48代表校に日本サッカー協会推薦の4校を加えた52校が参加 | 名波浩(清水市商) 前園真聖(鹿児島実) | 礼宮と川島紀子様ご結婚 東西ドイツ統一 |
| 決勝戦は史上初の九州対決、鹿児島実を下した国見が優勝 |
| 70 | H3 | 決勝戦は6万人の大観衆で埋まり熱戦の末、帝京・四日市中央工が両校優勝 | 小倉隆史(四日市中央工) 松波正信(帝京) | 湾岸戦争勃発 ソ連崩壊 |
| 観客動員は42万人の新記録達成! |
| 71 | H4 | 雲仙の被害に負けず長崎県の国見が優勝 | 三浦淳宏(国見) | PKO協力法案成立 |
| 72 | H5 | 清水市商・GK川口、鹿児島実業・ストライカー城などスター選手が活躍 | 中田英寿(韮崎) | サッカーJリーグ開幕・皇太子ご結婚 |
| 73 | H6 | 新キャラクターケレくん誕生(ネーミングは14461通の一般公募の中から選ばれた) | 楢崎正剛(奈良育英) 松田直樹(前橋育英) | 松本サリン事件 向井千秋さん宇宙へ |
| 選手の体力面を考慮し年末12/31開幕に変更 |
| 74 | H7 | 開会式でナンバリングしたチラシを来場者に配布し大抽選会を行ない集客に努める | 平瀬智行(鹿児島実) | 阪神大震災・地下鉄サリン事件 |
| 75 | H8 | 史上初めて高校野球の参加校を上回り日本一大きな高校スポーツ大会になる | 北嶋秀朗(市立船橋) 小笠原満男(大船渡) 中村俊輔(桐光学園) | 住専問題表面化 O-157全国に広がる オウム裁判始まる |
| 《「夏の甲子園」から「冬の国立へ」》 |
| 市立船橋北嶋選手が選手権個人通算得点記録を更新する16得点をあげる |
| 76 | H9 | 2002年に向けて「Get2002」というスローガンを掲げ、サッカー界全体の盛り上げをはかる | 本山雅志(東福岡) 中田浩二(帝京) | 神戸で中3少年が小学生殺傷 金融機関の経営破綻相次ぐ |
| 雪上での決勝戦、帝京を下し東福岡が優勝 |
| 77 | H10 | 2年連続同一カードの決勝戦を再び東福岡が制す | 金古聖司(東福岡) | サッカーワールドカップ日本初出場・長野五輪 |
| 78 | H11 | 12/30開会式終了後、初めて開幕戦(國學院久我山VS具志川)が行なわれ盛り上がりをみせる | 田原豊(鹿児島実) | 日本初の脳死判定 |
| 79 | H12 | 前年度優勝校の市立船橋が推薦出場し、開会式直後のオープニングゲームに登場 | 大久保嘉人(国見) | シドニー五輪日本女子選手活躍 |