
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者。
ピッツバーグの銀行家の家に生まれ、実業家として成功を収め、1890年代末にはジョン・ロックフェラー、ヘンリー・フォードと並ぶアメリカ合衆国で最も有力な富豪の1人に数えられるようになりました。
1913年、父の追悼のために弟とともにメロン工業研究所(現カーネギー・メロン大学)を設立。1921~32年、財務長官として税制改革で成果をあげた他、1932~33年、在イギリス、アメリカ大使を務めました。
熱心な絵画収集家で、ラファエロの《アルバのマドンナ》、ボッティチェリ、ティツィアーノ、レンブラントなど計21点を旧ソビエト連邦のエルミタージュ美術館から購入。1936年、絵画126点、彫刻26点にのぼる自らのコレクションと、美術館建設資金を国家に寄贈する旨を表明します。
フランス絵画にはほとんど興味を示さず、当時アメリカには良質なフランス絵画のコレクションがあったことから、「自分よりもこの分野に詳しい人々が作品を寄贈してくれることを期待する」と残しています。(その後ジョセフ・ワイドナーにより、主要なフランス絵画のコレクションが寄贈されました。)
ナショナル・ギャラリーの建設が始まって間もなく、その完成を見ずに1937年夏、死去しました。