福島第一原発事故から10年 除染した町 住民「戻る・戻らない」格差
10年前の、福島第一原発事故。
この3年後の2014年、私が福島県・楢葉町で見たのは、
除染作業で出た廃棄物が入った黒い袋が大量に積まれた光景でした。
この町で私は除染のお手伝いをさせていただきました。
○除染作業員
「声かけあってね、声」
○櫻井
「はい」
楢葉町の井出さんのお宅。
○櫻井
「これは大変ですね」
庭の表面の土を取り除き黒い袋へ。
ただこのとき、除染はしても避難指示が出ていたため住めない状態でした。
○楢葉町から避難 井出亜紀さん(当時41)
「いつも子どもたちには申し訳ないなという気持ちはありました。
普通の暮らしというか普通に当たり前に送れた生活ができないというのは常にありました」
あれから7年がたった今月。
再びリモートで取材させていただきました。
○櫻井
「そう、この芝大変だったんだよな~」
「あ、井出さん、ご無沙汰しております櫻井です。」
○楢葉町に戻った 井出亜紀さん(48)
「こんにちは。」
○楢葉町に戻った 井出亜紀さん(48)
「戻ってきたときはちょっと落ち着かない感じはあったんですけども
暮らしてみるともう、自宅でいいなって思いますね」
福島第一原発から南におよそ16キロの楢葉町。
原発事故から4年後に避難指示が全域で解除されました。
今では6割ほどの人が戻ったといいます。
あの黒い袋は街から消え、商業施設や新しい住宅ができていました。
取材当時、高校生だった長女の真菜美さん。
○長女・真菜美さん(当時高校1年生)
「生まれ育った土地で生活していきたいという気持ちはあります」
現在は…。
○櫻井
「え!お子さん抱えてる!あれ?お母さんになってる!」
結婚・出産をしたあと、去年5月に避難先のいわき市から
楢葉町に戻って子育てしていました。
来月には第2子が生まれる予定です。
○櫻井
「学生時代いわきで過ごしたらそのまま
いわきで子育てしようってことは頭よぎらなかったですか?」
○楢葉町に戻った 長女・真菜美さん(23)
「そうですね。少しは悩んだんですけど
何より自分が育った町で育てていきたいと思うようになりました」
さらに。
○楢葉町に戻った 長女・真菜美さん(23)
「(避難先の)いわき市のほうで今の旦那さんに出会ったので
震災がなくて(いわきに)住んでなければたぶん出会ってなかったと思います」
○櫻井
「なるほど。いわきでの時間も代えがたい時間だったってことですか」
○楢葉町に戻った 長女・真菜美さん(23)
「はい。すごく大事な時間だったと思います」
一方、原発からおよそ10キロ離れた富岡町。
これは5年前にドローンで撮影した映像。
駅前だった場所には、やはり除染廃棄物の入った黒い袋が一面に広がっていました。
私は富岡町で2度、除染のお手伝いをしました。
1つ1つの作業が放射線量を下げ、住民が戻ることにつながればと思っていました。
そのうちの1軒、渡辺さんは戻っていました。
ところが…
○富岡町に戻った 渡辺達生さん(72)
「震災前(この地区)は63世帯あったんですけど今は5世帯で11人」
「10年近い年月はあまりにも長すぎると」
避難先に定住して、戻らない人が多いというのです。
富岡町の解除は楢葉町より2年遅い2017年。
しかも、全域ではなく、許可なく立ち入りできない「帰還困難区域」も残っていました。
戻った人の割合も1割あまりにとどまっています。
その「帰還困難区域」はいま…。
町の消防団のパトロールに同行させてもらいました。
○櫻井
「あー、ゲートだ」
○消防団
「ゲート見えてますか」
ゲートの先は帰還困難区域。
実はここには町の人口の3割ほどにあたるおよそ4800人が暮らしていました。
いま、深刻な問題が…
○富岡町消防団 団長・末永博幸さん(61)
「ドアの鍵の部分割られてるのが見えますかね」
○櫻井
「見えます、ひどいですね」
○富岡町消防団 団長・末永博幸さん(61)
「この通りずらーっと30軒40軒近くあるんですけど、ほとんどが割られてます」
○櫻井
「えー、ひどいなあ」
空き巣被害は去年だけでおよそ370件。
住民が戻れない家を狙った卑劣な犯行でした。
さらに…。
○富岡町消防団 団長・末永博幸さん(61)
「ここもそうですし隣もそうですし、その奥もそうなんですけど
解体が進んで、きれいに更地になっています」
○櫻井
「おそらく別の地域で生活されていてもう富岡には戻らないという
決断をされた方も中にはきっといらっしゃいますよね」
帰還困難区域内ですすむ住宅の解体。
時間の経過とともに「戻らない」決意に変わった人もいるのです。
○富岡町消防団 団長・末永博幸さん(61)
「これだけ壊されると、昔の町並みがだんだん記憶が薄れてきて、
ここに何があったのかなって」
そして、最後に訪れた家。
中に入ると…やはり空き巣に入られた跡が…。
○富岡町消防団 団長・末永博幸さん(61)
「ここ実は、私の家なんです」
○櫻井
「え!!あ、そうなんですか」
○富岡町にまだ「戻れない」 末永博幸さん(61)
「私の自宅だったんです。」
消防団団長の末永さんもまた「戻りたくても戻れない」ひとりでした。
○富岡町にまだ「戻れない」 末永博幸さん(61)
「(家に戻るのを)まだ諦めてはいませんけどだんだん心が折れそうな感じです」
原発事故のあとも避難先から毎日2時間かけて通い、
町のために消防団として活動してきた末永さん。
○櫻井
「震災そして原発事故がおきて10年。
この10年どんな年でしたか?どんな期間でしたか?」
○富岡町にまだ「戻れない」 末永博幸さん(61)
「うーん、なんていうかな長かったようであっという間というか、
今まで10年間なにをやってきたのかなっていうのが、」
「毎日、こうやってパトロールしてますけど、
以前のように戻れれば一番いいんですが今までほんとに、
何やってきたのかなっていう思いのほうが強いかもしれないです」