戦後77年…ウクライナに抑留された96歳の証言
○櫻井
「こんにちは~」
近田明良(ちかだ あきよし)さん、96歳。
自宅の壁には…
○櫻井
「さっそくなんですけどこの地図は
近田さんがお作りになられたんですか?」
○近田明良さん(取材時96歳)
「そうです、そうです、これ」
日本や中国、旧ソ連、
そしてウクライナまでがかかれた“手書きの地図”。
第二次世界大戦の後、
ソ連軍の捕虜となった近田さんが抑留生活を
送った場所などが記されていました。
○近田明良さん(取材時96歳)
「どこに行くのか全然わかりませんから。
みんなの不安な気持ちは
生きるか死ぬかの気持ちですね」
旧満州の『奉天』で
終戦の日を迎えた当時二十歳の近田さん。
その後、ソ連軍の捕虜となり、
シベリアの収容所に送られました。
○近田明良さん(取材時96歳)
「表で銃声が聞こえたんです。
(飲み)水を取ろうと思って
その人はバケツを持ってって
雪を詰めようとおもって(撃たれた)。
即死でした…亡くなって…」
脱走兵と間違われソ連軍に射殺された仲間ー。
○近田明良さん(取材時96歳)
「戦に負けて無惨にこういう風にして
目の前で亡くなるって…
ましてやもう戦争はもう終わっているのに」
○櫻井
「はっきりと今なお覚えてらっしゃるんですね」
○近田明良さん(取材時96歳)
「忘れませんね…
その話をするのが一番つらいですよ…」
近田さん終戦からおよそ1年。
「ようやく帰れる」と乗り込んだ列車も
再び日本とは逆方向へ。
その、行き先はー…
○近田明良さん(取材時96歳)
「“ウクライナ”に着いて
(我々の部隊は)“ザポリージャ”へいった
いまここ、やられてますね」
ヨーロッパ最大規模の原発で知られる、
ウクライナのザポリージャ。
いまも軍事侵攻を続けるロシア軍に占拠され
攻撃が相次いでいます。
当時の写真が一枚だけ残されていました。
▲上列から2列目、左から2番目が近田明良さん(当時21歳)
近田さんは“ある場所”で2年半もの間、
強制労働させられていたといいます。
○櫻井
「ウクライナでの生活はどういう日々だったんですか?」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「(水力)発電所の復旧作業。
ぐちゃぐちゃになってるの。
一輪車にレンガを運んだりセメントを運んだり。
そういう仕事で…厳しいです。」
「夜の仕事は一番つらかったですね
やっぱり暗いところでやる仕事ですから」
現場はこの水力発電所。
▲1940年代のドニプロ水力発電所
原発ができる前から稼働していましたが、
ドイツとソ連の戦いで破壊され復旧作業が続いていたのです。
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「寒さがマイナス25度、
それ以上になるときもありました。
私も寒さで凍傷にかかりましてね。
3本の指が凍傷にかかって10年くらいは
指の痛みは続いておりました」
○櫻井
「これ本当に日本に帰れるのかと思うときは…
なかったですか?」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「もう途中からは(希望が)無くなっていきますね。
そうなるとここで一生涯いるかもしれませんし、
帰れないでここで命をおとすかもしれない…
そういう“極限の状態”になるともう
“人としてというよりも生き物みたいな感じ”に
なっちゃうんですかね…」
そんな時…
ウクライナ人の現場監督に声をかけられました。
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「『自分の父親が日露戦争で日本軍の捕虜になって
そして抑留されたとその時に日本人がすごく丁寧というか…
親切にあつかってくれた
だからあんたたちもなにしろ健康にだけは
注意すれば必ず帰れるんだから日本に帰るんだぞ』と
その言葉がすごい嬉しかった。
嬉しかったというか力づけられたといいうか。
その辺からなにかこう、 明かりが見えたというかね…」
“必ず帰れる”ー・・・。
この言葉に生かされ、終戦から3年3か月、
ようやく日本の地を踏むことができました。
あの戦争から77年、再び戦火にいるウクライナ。
○櫻井
「最近例えばテレビでウクライナの方々を見ることも
少なくないと思いますけど」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「今のウクライナの人はどんなつらい思いをしてますかね
ちょうど自分の立場とおなじにおいたときに…
残念というか、
どうしてそういうようなことをまた繰り返してやるんだろうか
テレビを見るのはつらいんだけども…
でも心配ですね…」
そして近田さんが復旧に力を尽くした
ザポリージャの水力発電所は、“今”ー…。
職員の方とコンタクトをとることができました。
○櫻井
「『毎日空襲警報がなっているので
直接お話することはできない』とのことですが
(近田さんに)メッセージをあずかっているので
見て頂いてよろしいですか?」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「おぉ…あぁー…ありがたい…」
○ドニプロ水力発電所職員からのメッセージ
「こんにちは。
私の名前はアンジェリカです。
ロシア軍がすぐ近くにいる状況ですが、
ここの安全はしっかり守られています。
ドニプロ水力発電所の全ての職員から近田さんへ
感謝の気持ちをお伝えしたいです。
ありがとうございます」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「ありがとう…
ありがとうございました」
○櫻井
「みなさん近田さんに感謝してらっしゃいました。」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「いま、顔見てても本当に親しみをもちますよ。
あちらの方はみんなこういう人ですよ。
みんなそれがね、(今の軍事侵攻で)
ああいう状態になっているのを見ると早くおさまってほしい。
本当にどんなに平和が大切かっていうことをね」
○櫻井
「今若い人に伝えたいことは どういうことになりますか?」
○近田明良さん(取材時96歳)
「(軍事侵攻が続く)この機会にこそ
僕は知ってほしいのは争いの醜さとそれから厳しさと…
そういうことを知っていてほしいと思います」
協力:平和祈念展示資料館