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戦後77年…ウクライナに抑留された96歳の証言

2022.08.15

○櫻井
「こんにちは~」

近田明良(ちかだ あきよし)さん、96歳。
自宅の壁には…

○櫻井
「さっそくなんですけどこの地図は
 近田さんがお作りになられたんですか?」 
○近田明良さん(取材時96歳)
「そうです、そうです、これ」 

日本や中国、旧ソ連、 
そしてウクライナまでがかかれた“手書きの地図”。
第二次世界大戦の後、
ソ連軍の捕虜となった近田さんが抑留生活を
送った場所などが記されていました。 

○近田明良さん(取材時96歳)
「どこに行くのか全然わかりませんから。
 みんなの不安な気持ちは
 生きるか死ぬかの気持ちですね」

旧満州の『奉天』で
終戦の日を迎えた当時二十歳の近田さん。
その後、ソ連軍の捕虜となり、
シベリアの収容所に送られました。

○近田明良さん(取材時96歳)
「表で銃声が聞こえたんです。 
 (飲み)水を取ろうと思って
 その人はバケツを持ってって
 雪を詰めようとおもって(撃たれた)。
 即死でした…亡くなって…」 

脱走兵と間違われソ連軍に射殺された仲間ー。

○近田明良さん(取材時96歳)
「戦に負けて無惨にこういう風にして
 目の前で亡くなるって…
 ましてやもう戦争はもう終わっているのに」 
○櫻井
「はっきりと今なお覚えてらっしゃるんですね」 
○近田明良さん(取材時96歳)
「忘れませんね… 
 その話をするのが一番つらいですよ…」

近田さん終戦からおよそ1年。
「ようやく帰れる」と乗り込んだ列車も
再び日本とは逆方向へ。
その、行き先はー…

○近田明良さん(取材時96歳)
「“ウクライナ”に着いて
 (我々の部隊は)“ザポリージャ”へいった 
 いまここ、やられてますね」 

ヨーロッパ最大規模の原発で知られる、 
ウクライナのザポリージャ。

いまも軍事侵攻を続けるロシア軍に占拠され
攻撃が相次いでいます。

当時の写真が一枚だけ残されていました。

▲上列から2列目、左から2番目が近田明良さん(当時21歳)

近田さんは“ある場所”で2年半もの間、 
強制労働させられていたといいます。

○櫻井
「ウクライナでの生活はどういう日々だったんですか?」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「(水力)発電所の復旧作業。
 ぐちゃぐちゃになってるの。
  一輪車にレンガを運んだりセメントを運んだり。
 そういう仕事で…厳しいです。」
「夜の仕事は一番つらかったですね
 やっぱり暗いところでやる仕事ですから」

現場はこの水力発電所。


 ▲1940年代のドニプロ水力発電所

原発ができる前から稼働していましたが、 
ドイツとソ連の戦いで破壊され復旧作業が続いていたのです。

○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「寒さがマイナス25度、
 それ以上になるときもありました。
 私も寒さで凍傷にかかりましてね。 
 3本の指が凍傷にかかって10年くらいは
 指の痛みは続いておりました」
○櫻井
「これ本当に日本に帰れるのかと思うときは… 
 なかったですか?」 
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「もう途中からは(希望が)無くなっていきますね。 
 そうなるとここで一生涯いるかもしれませんし、
 帰れないでここで命をおとすかもしれない… 
 そういう“極限の状態”になるともう 
 “人としてというよりも生き物みたいな感じ”に
 なっちゃうんですかね…」

そんな時…
ウクライナ人の現場監督に声をかけられました。

○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「『自分の父親が日露戦争で日本軍の捕虜になって
 そして抑留されたとその時に日本人がすごく丁寧というか…
 親切にあつかってくれた 
 だからあんたたちもなにしろ健康にだけは
 注意すれば必ず帰れるんだから日本に帰るんだぞ』と
 その言葉がすごい嬉しかった。
 嬉しかったというか力づけられたといいうか。 
 その辺からなにかこう、 明かりが見えたというかね…」

“必ず帰れる”ー・・・。
この言葉に生かされ、終戦から3年3か月、 
ようやく日本の地を踏むことができました。

あの戦争から77年、再び戦火にいるウクライナ。

○櫻井
「最近例えばテレビでウクライナの方々を見ることも 
 少なくないと思いますけど」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「今のウクライナの人はどんなつらい思いをしてますかね
 ちょうど自分の立場とおなじにおいたときに…
 残念というか、
 どうしてそういうようなことをまた繰り返してやるんだろうか
  テレビを見るのはつらいんだけども… 
  でも心配ですね…」

そして近田さんが復旧に力を尽くした 
ザポリージャの水力発電所は、“今”ー…。

職員の方とコンタクトをとることができました。

○櫻井
「『毎日空襲警報がなっているので
 直接お話することはできない』とのことですが
 (近田さんに)メッセージをあずかっているので
 見て頂いてよろしいですか?」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「おぉ…あぁー…ありがたい…」 

○ドニプロ水力発電所職員からのメッセージ 
「こんにちは。
 私の名前はアンジェリカです。
 ロシア軍がすぐ近くにいる状況ですが、 
 ここの安全はしっかり守られています。
 ドニプロ水力発電所の全ての職員から近田さんへ
 感謝の気持ちをお伝えしたいです。
 ありがとうございます」

○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「ありがとう…
 ありがとうございました」
○櫻井
「みなさん近田さんに感謝してらっしゃいました。」
○ウクライナに抑留 近田明良さん(取材時96歳)
「いま、顔見てても本当に親しみをもちますよ。 
 あちらの方はみんなこういう人ですよ。
 みんなそれがね、(今の軍事侵攻で)
 ああいう状態になっているのを見ると早くおさまってほしい。
 本当にどんなに平和が大切かっていうことをね」

○櫻井
「今若い人に伝えたいことは どういうことになりますか?」
○近田明良さん(取材時96歳)
「(軍事侵攻が続く)この機会にこそ
 僕は知ってほしいのは争いの醜さとそれから厳しさと… 
 そういうことを知っていてほしいと思います」

協力:平和祈念展示資料館

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