未公開だった津波映像・・・10年後に公開した理由
宮城県・気仙沼市。
この日、向かったのは小さな港町。
○櫻井
「ごめんください」
訪ねたのは近くに住む畠山亮さん、26才です。
震災当時中学3年生だった畠山さん。
避難先の高台へ向かう途中、津波がくる様子を一部始終撮影していました。
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「最終的には ここに立ってカメラで回してた」
カメラつきの音楽プレーヤー。
そこに保存されていた当時の映像をみせていただきました。
地震発生から10分後の午後2時56分。
揺れの大きさから、津波がくると思い海の近くで撮影を始めました。
○畠山亮さん(当時15歳)
「水が急に引いていきます」
海面は普段より数十センチほど低くなり、海底がみえそうなほどに。
津波がくる前兆の“引き波”。
そして・・・
○畠山亮さん(当時15歳)
「(水位が)高くなってきてます」
一転、水位が上昇。港にはサイレンが鳴り響きます。
○畠山亮さん(当時15歳)
「上がれだって」
迫り始めた津波を警戒して海から距離をとります。
そして、地震発生から36分後の午後3時22分。
○畠山亮さん(当時15歳)
「水がものすごいです」
岸壁から海水があふれ始めます。
○住民
「だめだ、いくな」
○畠山亮さん(当時15歳)
「いかないから!めちゃくちゃ高い」
それでも撮影を続けると・・・
○住民
「上がってろ!はやいこと上がれ!」
この呼びかけで、我に返る畠山さん。
高台の階段をのぼると…ついさきほどまでいた場所にも海水が迫ります。
およそ1分後には…
○畠山亮さん(当時15歳)
「家が水没してしまいました。家が壊れてしまいました。」
水位を増し続ける津波。建物ごと押し流していきます。
恐怖を感じた畠山さん、さらに上へと走ります。
高台の頂上から見渡すと生まれ育った町は一変していました。
漁師である祖父が働き、幼いころからの遊び場だった港は
わずか40分ほどでのみ込まれました。
○櫻井
「このミシミシという音は聞いたことない音ですもんね。
すごい映像…すごい距離から撮ってましたね。」
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「最前線で撮ってましたので考えられない速度だったので、
これが津波の現実なんだぞと。上がってくるスピードがとんでもない。」
一部始終をとらえた、この映像。
実は10年以上、みることはなかったといいます。 
○櫻井
「見るのには勇気が?」
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「音、バキバキとか、サイレンの音も聞くと全部思い出してくるんですよね。
つらい過去というか、全部よみがってくる(映像は)見たくはなかったですね。」
そんな映像を2021年11月、動画投稿サイトで公開。
○櫻井
「なんで公開しようと決めたんですか?」
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「取引先の方と震災の話になったときに自分もビデオ撮っていたって言ったら
それは公開するべきだよって。後世のために。」
○櫻井
「11年前のことだから当時のこと覚えていない
まだ生まれていない子どもたちもたくさんいますもんね。」
公開から4か月。
映像は1200万回以上も再生され、多くのコメントが寄せられていました。
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「もう、国内外からも凄くて。」
○櫻井
「海外からも?」
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「海外からも(コメントが)すごいんですよね。
子供たちに見せるとか言ってくれている方も知り合いにいたりとか
(動画が)役に立ていただければなと思っていたので。」
○櫻井
「改めてご自身が避難するなかで、ポイントっていうのはどういうところだと?」
○津波の映像を撮影していた畠山亮さん(26)
「避難所を自分で把握しているっていうところだと思いますね。
やっぱ別の場所に住んでいてもなにか起きたときのために、
逃げる場所・避難場所を知っておくべきじゃないかなって思いますね。」