沖縄戦「リモート語り部」
6月22日、沖縄県那覇市の高校。
姿を見せたのは84歳の上原美智子さん。
向かった先は校舎内の会議室。
○沖縄戦の語り部・上原美智子さん(84)
「私が少女の時、9歳の時の戦争体験をした
ごく一部をお話ししたいと思いますので」
そこで語り始めたのは自らの戦争体験です。
そして教室にいる生徒らが見つめるのは
映像が映し出されたスクリーン。
学校にとっても、上原さんにとっても初めてのリモートでの「語り部」。
私も東京からオンラインで参加させていただきました。
○生徒
「1分間黙祷をします、黙祷」
○櫻井
「(黙祷)」
国内最大の地上戦が行われた沖縄。
20万人以上が命を落としました。
上原さんは、9歳で沖縄戦を経験し、
およそ30年にわたり戦争の記憶を伝えてきました。
慰霊の日がある6月は例年であれば講堂や体育館など
多くの人の前で体験を話します。
しかしことしは新型コロナの感染拡大によって
相次いでキャンセルに。
そんな中、高校からリモートでの「語り部」の
依頼があったのです。
○沖縄戦の語り部・上原美智子さん(84)
「1944年、学校の様子はどうだったか。
職員室の前に大きなサイレンが設置されて空襲警報の
避難訓練があったんです」
「♪大人のいうことよくきいて 慌てないで 騒がないで
落ち着いて 入ってみましょう防空壕♪」
○上原美智子さん(84)
「私の父親は38歳だった」
「どこで亡くなったか、いまだ遺骨も遺留品も何も無い」
そして上原さんは…
○沖縄戦の語り部・上原美智子さん(84)
「8か月の赤ちゃんをおんぶして3歳の弟、
5歳の妹を連れだって逃げるわけです
ガマに入っていったら赤ちゃんが泣き出したんです
あの優しかったおばあちゃんたちが
“敵に見つかるからあなたがた出て行きなさい”と罵声があるわけです」
優しかった近所のひとまで変えてしまった「戦争」という極限状態。
上原さんはいまの社会との共通点があると話しました。
○上原美智子さん
「ガマの中でじーっと声を出してはいけない
騒いではいけない 歩きまわってはいけない じっと耐えてください
というのがコロナのいまの状況と非常に似通っている所がある」
“戦争とコロナは似ている”
生徒たちはどう感じたのでしょうか。
○櫻井
「リモートできいてどうでした?」
○生徒
「教室で聴くことでより戦争の体験についての
メモもとりやすくなって自分の心の中で落とし込めたかなって」
○櫻井
「いまのコロナの状況と戦争の当時の状況はちょっと近いところがあるかもしれない
というお話ありましたけれども」
○生徒
「制限された生活の中で生きているって
話をしていただいてそれが今の自分とリンクして
状況は違うけど今の私たちとあの世代を生きた
祖父母の世代の気持ちは似ているのかな」
上原さんにも伺いました。
○櫻井
「コロナと戦争、今回ポイントとして話をしたかった?」
○沖縄戦の語り部・上原美智子さん(84)
「自分だけではなくて周囲に迷惑にならないようなことを
強いられていたからガマの中では」
若い世代に戦争を身近に思ってもらうため、コロナの話をしたといいます。
○上原美智子さん(84)
「今日聞かなかった友人知人に今日聞いたことを
自分だけのものにせずそれをぜひ伝えてほしい」