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#256 奥能登豪雨から1年~人口減少も…前向く人々~

2025.09.22

〇櫻井
震度7の地震があった年の9月に
能登半島を襲った「奥能登豪雨」から
21日で1年がたちました。
 
私は、1年ぶりに被災地・輪島市を訪ね、
復興の現状や新たな目標へと向かう人々を
取材しました。

櫻井キャスターは、
石川県輪島市の久手川町へ。

○櫻井
「道路も大きくひび割れたまま、
 間から草が伸びています」

1年前。

久手川町では近くを流れる
塚田川が氾濫し、

当時、中学3年生だった
喜三翼音さんを含む、
4人が亡くなりました。

櫻井キャスターは、
豪雨災害から1か月後に
この地域を取材しました。

○櫻井
「この奥がいくつも家屋が
 あったんですけれども、
 解体も終えてその様子は見られません」

災害関連死を含む19人が
犠牲となった奥能登豪雨。

○櫻井
「喜三さんのお宅の場所です。
 いくつも花が手向けられていますね」

輪島市では、
行政の費用による「公費解体」を、
申請があった
9割以上で終えたということですが、
この地域には1年たった現在も
水道が復旧していない
住宅があるといいます。

さらに。

去年、お話を伺った畠中ひろ子さん。

当時、自宅に迫った濁流を
「山津波だった」と話していました。

○畠中ひろ子さん
「お家解体した人たち
 仮設(住宅)に行っている」
○櫻井
「やっぱりさみしくなる?」
○畠中ひろ子さん
「さみしくなる」

地震、豪雨の“二重被災”のあと
能登地方で加速する「人口減少」。

輪島市では、被災前に
2万3000人以上いた人口が
9月に2万人を下回りました。

○櫻井
「こんにちは」
○尾花山哲夫さん
「おひさしぶりです」

輪島市で、
30年以上飲食店を営んできた
尾花山哲夫さん、75歳です。

1年前、
店の前を流れる川が氾濫し、
泥水が店の中に入り込みました。

被災から1か月後に
櫻井キャスターが訪ねた時、
尾花山さんは。

○尾花山哲夫さん
「ただこの仕事は私は続けたい、
 この仕事は天職だと思っているんで」

きょう、お店に伺うと。

○櫻井
「あれ…本当に何も」
○尾花山哲夫さん
「何もないです」
「あしたあさってくらいから
 解体が入るので、全部片付けました」
○櫻井
「大切にしてきたお店」
○尾花山哲夫さん
「(解体を)見るに忍びない。
 それしか選択肢がなかった」

この場所でのお店の再開を
断念した尾花山さん。

再建のための補助金は、
75歳の尾花山さんには条件が厳しく、
修繕をする建築業者にも
依頼が殺到していて、
見通しも立たなかったといいます

○尾花山哲夫さん
「去年、櫻井さんが来たあと
 2か月くらい1日が長くて。
 何もすることがなくて」

○櫻井
「今はどういったことをされている?」
○尾花山哲夫さん
「近くの焼き肉屋さんのお手伝い、
 調理をしている」

尾花山さんは今年1月、
料理人として、再び包丁を握り始めました。

○櫻井
「ガラッと雰囲気変わりますね」
○尾花山哲夫さん
「やりましょうか」

週に5日。
1日およそ5時間の仕事。

実は、この焼き肉店で
働くスタッフは全員、
能登の地震や水害の被災者
だといいます。

社長の塩士さんと仲間で、
「仕事を失った人が
 働ける場所を作りたい」とはじめた、
焼き肉店だということです。

○炭火焼肉ライクイット
 塩士良一 社長
「尾花山さんは
 まったく後ろを向かないので、
 僕社長ですけど、社長のような存在です」

○櫻井
「包丁持つ姿、初めて拝見しますが
 いきいきしていますね」
○尾花山哲夫さん
「楽しいです」
○櫻井
「…かっこいいし」

そんな尾花山さんには、
  いま新たな目標があります。

○尾花山哲夫さん
「朝市にフードコート、お店を作ろうと」

1200年以上続く「輪島朝市」の場所で、
再来年の春オープンを目指す
「フードコート」に、
自分のお店を出す計画です。

○櫻井
「考えている時間は大変ですか」
○尾花山哲夫さん
「楽しい!そりゃ楽しいですよ」
○櫻井
「夢膨らむというか」
○尾花山哲夫さん
「そうそう、この年になって
 そんな楽しいことはないですよ」

 

○櫻井
お話を伺った尾花山さんは
住民のみなさん、

観光客のみなさんが減っている
輪島の現状について、
「華やいでいた時期を

 知っているからこそ
 到底受け入れられないくらい寂しい」
と話していました。

それでも前を向けるのは、
ボランティアの方々、
常連の方々から届く
「再開したら行くよ」
という声だと話していて、

そのときには、
目頭が熱くなっていたのも印象的でした。

週末などはボランティアも
   引き続き募集していますし、
ぜひ足を運んで、現状を見たり、
感じたりして欲しいなと思います。

 

○藤井
能登のことを忘れないという意味で、
「能登not alone」という
フレーズが使われますが、
いま、能登の中でも
観光地が少しずつ動き出していて、
地元を中心に観光客が増え始めています。

もちろんまだ観光に行けない
場所もありますが、
観光できる場所まで人が来なければ
能登は取り残されます。
復興の光を観る観光も
能登を元気にすることにつながります。

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