#263 「グエー死んだンゴ」投稿で広がる“支援の輪”
2か月ほど前から始まり、
SNS上で広がった
“あたたかい動き”をご存じでしょうか。

きっかけは、こちらの言葉。
「グエー死んだンゴ」。
ひとりの青年が2025年10月
Xに投稿して話題になり、
現在「いいね」は100万以上、
表示回数は3億回を超え、
今も広がりをみせています。
(2025年12月22日時点)

投稿したのは
北海道に住む大学生
中山奏琉(かなる)さん、22歳。
奏琉さんは、2023年
背中の痛みなど症状を訴え始め、
その後、筋肉などにできる“希少がん”
「類上皮肉腫」と診断されました。
懸命に治療を続けましたが、
2025年9月に緩和ケアに移行し、
10月12日に亡くなりました。
そして、亡くなった2日後、
奏琉さんのXに投稿されたのが、
「グエー死んだンゴ」。
元々は、
傷つく言葉を投げかけられた際の
返しなどに使われてきた
いわゆる「ネットスラング」で、
奏琉さんはXで
闘病生活を発信していました。
この投稿は
亡くなる前に日時を設定して、
予約投稿をしたものと
みられています。
この投稿から始まった動きが、こちら。
奏琉さんに対しSNSでは
同じくネットスラングを使って、
「香典を包んだンゴ」
「成仏してクレメンス」などと
追悼を込めた
“寄付”の動きが広がりました。
奏琉さんが治療していた
「北海道がんセンター」には
2024年度は0件だった寄付が、
約1300件。
600万円を超える金額に。
(2025年12月22日時点)
さらに、東京にある
「がん研究会」には約2400件。
1000万円以上と
全国的な動きとなりました。
(2025年12月1日時点)
今年、話題となった
「グエー死んだンゴ」。
私は奏琉さんの父・和彦さんに
今の思いを聞きました。

○櫻井
「まず奏琉さんの投稿を知った時
どう感じた?」
○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「びっくりしましたね
こんなことやる子じゃないのに
こんなのやってたんだなって」
奏琉さんの友人から聞いた
アカウントの存在。
そこには、闘病中の思いが
つづられていたといいます。

○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「病気のことに関して
本人からどうこう話をしたことがなかった。
『つらい』『苦しい』とか
僕らの前ではほとんど言わなかったので
本心や思っていたことがX上にあった。
こんなことを思ってたんだなと感じた
前向きに頑張っているのがみえてたので
本心が見れてうれしいのが大きい」

○櫻井
「投稿見た方々によって
研究機関に寄付も集まっている
どのようにとらえる?」
○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「家族を病気で亡くす
悲しみも分かる立場としては
そういう方がひとりでも
減るような取り組みに対して
温かい支援が増えるのはうれしく思う」

○櫻井
「直接 奏琉さんのことを
知らずともX上で知った方が
“香典”として寄付もされている」
○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「奏琉の投稿がきっかけになって
どんどん輪が広がるのは誇らしいですし、
一過性のムーブではなくて
ずっとずっと続いていって
取り組まれていけばなと」
○櫻井
「こうした大きな動きを
奏琉さん本人は
どのようにみてると感じる?」

○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「仲間内で笑ってもらえればって
軽い気持ちだったのかと思うが
びっくりしてるか
『どうだ、やってやったぞ』
みたいな顔してるか喜んでいると思う」

○櫻井
「笑顔が思い浮かぶ?」
○亡くなった奏琉さんの父
中山和彦さん(48)
「小さいころから
ニヤニヤ笑う子だったので
『よく周りの人にも奏琉って
よく笑っている顔だ』って
言われるので思い浮かぶ」

ひとりの青年から始まった支援の輪。
奏琉さんの投稿後、
献血やヘアドネーションなどにも
支援の動きが広がっています。